コリアンとして生きる(5)


邪魔な存在が大切なものへ/留学同活動通じ 少し強くなった自分

近畿大学文芸学部1回生 李由華

 1年前、留学同が私にとって、こんなにも大きな存在になるとは思ってもいなかった。

 日本の学校しか通っていない私にとって、自分が朝鮮人であることを堂々と言おうと思えず、隠していたい気持ちでいっぱいだった。

 けれど、そんな気持ちとは反対に、「李」という苗字は今まで過ごしてきた毎日と今まで生きてきた私に、 くっつき虫のようにつきまとってきた。どこへ行っても「李」という存在はついて回る。そして、その存在は実はとても大きかったように思う。「苗字が違っていれば…」と何度思ったかわからない。日本の友達にはわかってもらえないし、通名でなく本名で通うのがとても嫌だった。

 黒人はなぜ差別されるのか、白人とどこが違うのか。肌の色が違うからか。たった一つ違う部分があるだけで、みななぜ受け入れられないのだろう。そして、差別を受けることで、みなと違うその部分を、自分の中で欠点として見てしまいがちになる。朝鮮人である私もそう考えていた一人だった。私は日本人でありたかった。

 大学に入って間もなく、私は留学同と出会った。ほとんどの人が朝鮮学校出身者だった。理解できない言葉が飛び交うこの中では、決してうまくやっていけないと思った。孤独だった。日本人の中で味わう孤独と朝鮮人の中で味わう孤独。それはまったく違う感覚だった。もし民族学校に通っていたら何かが違っていただろうか。

 だが、留学同活動に参加するにつれて、それまで年上の人を「先輩」と呼んでいたのが、「オッパ(お兄さん)」「オンニ(お姉さん)」と呼ぶようになっていった。初めて知り合う同胞の友だちに「君・さん」をつけず、名前で呼んでいた。今までなかった新しい生活を、いつしか私はとても楽しんでいた。

 同胞の知り合いも増え、あっという間に1年が経とうとしている。

 同じ在日朝鮮人として生まれてきたみなと出会えた。わかってもらえなかったことがわかってもらえるようになる。朝鮮人であることは隠すことではないと思えるようになった。そして、少しずつ学んでいる朝鮮の歴史、週1回教わっているウリマルが、今の私にはとてもためになっている。

 今まで邪魔にしか思えなかった朝鮮人であるということが、今ではとても大切なことに変わった。今は、本名で通わせてくれた母親への感謝の気持ちでいっぱいだ。

 周りの人と違う自分に気づいたその日から持ち続けていた疑問。それは、「なぜ、朝鮮人なのか」ということだった。この疑問のために、私は深く悩み、傷ついたこともあった。

 もしかしたら、これからも悩むことがあるかもしれない。だからこそ、堂々としていたい。朝鮮人であるということを責めるのはよそうと思う。

 留学同と出会ったことで、私は少し強くなれた気がする。

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事