春・夏・秋・冬

 1年間の本紙にざっと目を通しながら今年を回顧する。99年10月からの週3回発行体制への移行から3年余り、同胞社会の変化、多様化、そして読者の期待に少しでも応えられる編集ができたのだろうか、と考えを巡らす

▼時間に追われる毎日、その場しのぎをしたつもりはないが、反省しきりである。「不可抗力」もある。しかし弁明はできない。弁明は保身の始まり、現実からの逃避だと自身に命じているからだ。そこからは何も生まれない。そればかりか、読者の立場に立てば、誰のための同胞大衆紙なのか、ということになる。作り手にとって、容易過ぎるこの問いは死活的な意味を持つ

▼同胞社会の多様化は、なにも今に始まったことではない。だから「コリアン」という幅のある選択肢で読者を設定しなければならない。頭を悩まし論議に論議を重ねなくとも、現実を見れば答えはすぐに出る。それを行動に移せばと思うのだが…、やはり何事も不言実行を貫かねば変わらない

▼開高健が30代半ばに書いた「ベトナム戦記」に次のような下りがある。「(南ベトナムに注がれた)アメリカ市民の血税はサイゴン経由で本国の石油会社や武器会社に払い戻されていった」。その一部が政権党に還元されたことは言うまでもない。この構造はアフガニスタン、そしていま構えているイラクにおいても変わらない。冷戦時代そのままだ

▼好戦一色の中にあって、アフガン攻撃にただ一人反対した下院議員。彼女の勇気、人間としての行動に多くの示唆を受けた。やはり不言実行なのだと思う。(正)

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