朝鮮大学校

「キルトンム」など300超える作品

崔振郁・教育学部助教授


 日本はもとより、北南朝鮮、米国にまで活動の場を広めている教育学部音楽科の崔振郁助教授。作曲が専門で、これまでの創作作品(作曲および編曲)は300を超える。同胞の結婚式で新郎・新婦が披露する歌として定着している「掩疑巷(手をつないで)」。崔助教授が80年代半ば、20代の時に作曲したものだ。自らの結婚式では、両親への感謝の思いを込めて、妻が作詞し自身が作曲した「姶紫(感謝)」を披露。

 また、「格費級税 亜号照拭(子どもたちのカバンの中に)」や「繕厩聖 坦製 硝揮 益劾引 旭戚(祖国を初めて知ったその日のように)」なども、若い世代の志向と情緒を表現、とらえた歌として、今でも広く歌われている。

 音楽に関心を持つようになった最初のきっかけは、幼い頃、祖父(母の父)が同胞の集う場でチャンゴを叩き、それに合わせて同胞たちが喜び踊る姿を見たこと。

 「音楽には人を引き寄せる何かがあり、人生の喜怒哀楽を表現できる」と思ったという。 

 これまでの作曲活動で「毎回」喜びを得ているというが、中でも大きな感動を受けたのは、97年の「四月の春祝典」(平壌)に在日朝鮮人芸術団の一員として祖国を訪れた時のことだ。崔助教授は、毎年この祝典に参加している同芸術団の音楽部門を担当、多くの作品を舞台に上げてきたが、実際に舞台を見るのは初めてのことだった。上演1時間10分中、舞踊曲「重割(信念)」など3作品が20分間披露された。そして、芸術性を高く評価され、この年と99年に創作賞と芸術賞を受賞した。

 一方、77年には総聯組織内で初の管弦楽団を作り、その年から朝鮮大学校定期演奏会を開催。祖国や同胞が手掛けた作品を全国に発信する場となっているが、当初は祖国の作品を発表することは並大抵の努力ではなかったという。歌詞や楽譜はなかなか手に入らず、祖国のラジオ放送で流れる最新の歌を傍受し楽譜に書き留めた。こうした過程を経て、演奏会を「継続することができた」と振り返る。23回目を迎えた今年の演奏会には、北は北海道、南は佐賀から、卒業生や学父母、日本市民、南の同胞ら1000余人が参加。「同胞を取り巻く情勢は厳しくても、民族性を守り堂々と生きていくための力を得た」などの参加者の感想に、あらためて音楽会、音楽の重要性を感じた。

 90年代から広まった各地の同胞音楽会などに多数関わっているのも、音楽が人に与える影響力を誰よりも知っているからだ。

 99年には、政治・経済・文化の拠点と言われる米ニューヨークのリンカーンセンターで、在日朝鮮民族器楽重奏団公演の指揮も務め、朝鮮の音楽を世界に広めた。幼い頃、祖父の叩くチャンゴに合わせて踊る同胞らの喜び、笑顔を今も思い浮かべながら、崔助教授は今日もピアノの前に向っている。

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