コリアン学生学術フォーラム2002

マイノリティーの「母語使用権」としての「言語権」

奨励賞―李泰一(朝鮮大学校研究院)


 今日、言語権に関する問題は、きわめて重要な法的問題として取り扱われつつある。とりわけ、米国をはじめ多くの少数民族が混在する国々においては、言語の問題は国家政策と密接に関係するがゆえに、その重要性がよりいっそう明確に認識されている。

 言語に関する問題は本来、社会学や言語学の領域で主に論じられてきた。反面、法的観点からはほとんど議論がなされてこなかった。しかし、最近、少数民族が自己の言語を使用するばかりでなく、それを学び、維持・保存し、かつ後世にそれを受け継ぐ権利を有するという主張がしばしばなされている。このような主張の背景には、言語が本質的に民族そのものであり、個人のアイデンティティーの根本要素であり、したがって、言語および文化的環境は個人の人格発展において非常に重要な要因であるという価値観が一般化されてきているという事情が存在する。このような状況は、言語権を法的に定義することによって、母語使用権としての言語権という人権概念を確立することを要求しているといえよう。

 私は在日コリアンとして、日々同化していく在日同胞社会の現実を克服し、豊かでだんらんな同胞社会を構築していくうえで、言語権という権利がきわめて有効であると思うようになった。というのは、こんにち、同胞社会において喪失され続けている民族性を取り戻し、在日同胞たちが、たとえ日本に居住しているといえども、コリアンとしてのプライドをもって生活していくためには、言語の習得が不可避であると思われるからである。上記の問題を克服するためには、民族学校においてばかりでなく、同胞子弟が通う日本の学校においても、コリアンを学べるような法的措置が講じられなければならないと思われるのだが、このような問題に現実的解答を与えようという試みが本稿執筆の動機であり、かつ貫通されている問題意識である。

 しかし、言語権自体が確立された法的概念ではなく、むしろ、現在の法理論をもっては確立するのに困難な権利である。したがって、本稿においては、主に先行研究において成し遂げられた成果に基づいて現段階における言語権の保障範囲とその限界、そして今後の課題を実定法に基づいて考察するのに主な力を注がなければならなかった。本稿の構成は次の通りである。

 第1章は、従来、言語権がなぜ基本的人権として理解されにくかったのかという根拠とともに、諸学説がこのような状況を打開し言語権を権利として確立するうえで成し遂げた成果を紹介する。ここでは、理念派の代表的人物であるスクトナブ=カンガスと実定派の代表的人物であるフェルナンド・バレンヌの理論を対比分析する。

 第2章は、言語権の問題を純粋理論の問題としてだけ捉えるのではなく、実定法の規定の中で考察することによって、言語権内容の拡充過程を分析する。このことは、現段階において、言語権の保障範囲がどの程度であり、その限界がどこにあるのかということを科学的に明らかにするうえで意義が大きい。ここでは、国際法とアメリカにおける裁判例を主な材料にしながら、言語権を「積極的言語権」と「消極的言語権」とに区分できる根拠と、現段階においては「消極的言語権」だけが認められているということを論証する。

 第3章は、言語権の内容を拡充する過程についての提案である。この提案は、言語権自体が基本的人権として確立していない条件のもとで、言語権を実質的に保障するための合理的措置はどのようなものであるのかという問題意識から生まれたものである。

李泰一さん 「言語権」の問題については、自分の見解を一度発表してみたいと思っていた。多くの人の前で発表でき、いろいろな角度から指摘を受けて考えることが多かった。受賞を糧にいっそう研究を深め、もっとすばらしいものを発表したい。

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