反朝鮮あおるメディアの異常

殺しあいではなく助け合い平和な未来を

宝塚トラジ会 田中ひとみ


 2002年9月17日に日朝首脳会談が開かれ、日朝ピョンヤン宣言が発表されました。この日朝首脳会談の成功は世界各国から高い評価をうけていますが、日本国内では、過去の清算から国交正常化をめざす日朝平壌宣言の歴史的意義については黙殺し、共和国が謝罪した拉致事件だけをことさらに大きくとりあげているように感じられます。

 拉致事件の被害者やその家族についての報道で、私たちは、その人々の苦しみや痛みを生々しく想像するとともに、戦前戦中の朝鮮人強制連行についても、250万人と言われる被害者とその周りの家族の苦しみ痛みを、少しでも実感をもって想像できることになりました。

 家族や友人に囲まれた拉致被害者の笑顔を新聞で見るとき、このような日を夢見つつ帰れずに亡くなられた多くの朝鮮人強制連行被害者を思い、戦後57年間も戦後補償に手をつけなかった日本政府の罪悪と、政府を動かせなかった私たちの無力を思います。

 私たちは、トラジ会というグループでこの夏、西宮市の甲陽園にある地下壕を見学してきました。朝鮮から強制連行されて、地下に軍需工場を作るためのトンネルを掘らされていた人々が、解放の日にトンネルの壁に書いたと思われる「朝鮮國獨立」の文字は、私たちに、57年の年月を越えて、拉致され、奴隷労働を強いられ、大勢の仲間の死を越えて解放を迎えた若者の、希望にふるえる心を伝えてくれます。

 トラジ会は、2002年4月、伊丹朝鮮初級学校に統合された宝塚朝鮮初級学校とのかかわりを通して知り合いになった日本人と在日コリアンの会で、時々、出会って勉強したり、焼き肉を食べたりしています。

 2001年4月、統合が決定された後でこのことを知った私たち日本人市民は、宝塚市長に対して、学校敷地の買い取りおよび提供と、学校運営を援助することを求めて署名運動に取りくみました。半年あまりの間に7754人の署名が集まりましたが、残念なことに市長を動かすことはできませんでした。街頭署名で、多くの市民の声を聞きましたが、朝鮮学校が各種学校扱いで、さまざまな差別を受けてきたことは、知らない人がほとんどでした。中には「文句があるなら朝鮮に帰れ」との言葉を投げつける人もいましたが、朝鮮学校との交流を経験している若い人々が、積極的に署名に応じてくれたのが心に残っています。

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 今、宝塚市から伊丹市まで遠距離通学をよぎなくされている、朝鮮初級学校の生徒たちに対しても、拉致問題報道の影響で、心ない人々の悪意が向けられていることを思うと、胸が痛みます。

 強制連行に対して、謝罪も調査も被害賠償も責任者処罰も、何もしてこなかった日本政府が、今、共和国に調査団を送っています。一部に拉致事件の賠償を求める声もあるようです。調査も被害賠償も責任者処罰も当然のことですが、強制連行に対しても調査し被害賠償を先にするべきでしょう。

 平壌宣言でお互いの請求権を放棄すると述べていますが、これが、日韓条約の場合と同様に日本が被害賠償を拒否する根拠にされてはならないと思います。

 理解に苦しむのは、拉致被害だけに目がいって日本が朝鮮植民地支配下でなした罪悪の数々は思い浮かべない人々の意識です。日本の拉致被害者が「従軍慰安婦」のような境遇におかれていたと想像してみましょう。その被害女性に対して多くの日本人が同情を寄せ、その責任者に対して強い憤りを感じたであろうと思います。しかし、台湾の「従軍慰安婦」にされた被害女性に対して、日本の裁判所は、この10月15日「慰安婦」訴訟判決で、事実の認定もせず、「国際法は個人の賠償請求権を認めていない、民法上の請求については当時は国家に賠償責任はなかったし、また除斥期間が過ぎている、国家賠償法上の請求も理由がない」ということで、賠償請求は「却下」、謝罪についても「謝罪請求の趣旨が特定されないので棄却」というひどい判決を出しました。

 原告のみなさんは、控訴して闘い続けるとの意志を明らかにしていますが、日本人の多くの意識はこの判決とそうへだたりがないようで、この判決が新聞紙上で大きくとりあげられて非難されているわけでもありません。

 日本人が被害者であれば想像できるその痛みや苦しみが、朝鮮人、中国人が被害者であれば想像できない。

 そこに何があるのかを想像すれば、それは差別意識なのかもしれません。

 米国の人々はいまだに日本に原爆を投下したことを正当化しているようですが、そこに、有色人種への差別意識があると言われています。

 本当ならば、日本のマスコミは、米国による原爆投下や、軍事施設と関係のない民家への度重なる空襲について、もっときちんと米国を非難するべきだと思いますが、そうしないのはなぜでしょうか。これは私の想像なのですが、よその国や民族を力にまかせて土足でほしいままに蹂躙してきたために、力にまかせて自国を蹂躙されても、ひどいことをされた、抗議するべきだということがわからない、…弱い国の人々をひどく差別しているために、差別の不当性がわからず、自分が強い国から差別されていることを不当だと感じられない…こういう一面もあるのではないかと思います。

 今回の拉致事件報道で、さまざまな人が意見を述べていますが、戦前戦中に行った日本の罪悪を棚にあげて、また、相手が経済的に困窮していることを見下して、人間的にとても恥ずかしい発言をしています。そういう報道がまかり通る所に、日本人の差別意識の強さと、人間性の質が表れているのでしょう。

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 共和国への反感をあおるマスコミの異常な報道ぶりは、過去においても、湾岸戦争など緊張が激化した際に何度もくりかえされてきたもので、その度に朝鮮学校に通う生徒に危害が加えられましたが、今回も例外ではありませんでした。不景気の中、自らの不満を弱いものに向ける凶暴な人々が増えるおそれがあります。侵略戦争で残虐きわまりなかった日本人の子孫としては、自分たちの民族の良識に自信が持てません。94年に尼崎市民が朝鮮学校の生徒たちを守ろうと署名運動をされましたし、人権NGOが被害調査を行い、国連の人権委員会などで訴えてきました。少数ではあっても、良識をもつ者同士が手をつないで、チマ・チョゴリを守っていきたいと思います。

 日朝国交正常化への流れをくいとめたい人々は、緊張が緩和して軍事費が削減されることをよしとしない人々であり、言い換えれば、平和になることを望まず、日本が再び戦争へと進むことを夢見る人々です。今回も、朝鮮民主主義人民共和国への軍事侵攻を主張しているようですが。

 今日本のマスコミが、そのような人々の強い影響下にあることは、2000年12月の東京国際女性戦犯法廷の報道におけるNHKの番組改ざん事件を見ても明らかです。拉致事件に関するマスコミ報道に批判の目を向け、メールや投書などで、意見表明をしていこうではありませんか。

 79年前の1923年、関東大震災の際に、6000人の在日朝鮮人が、日本の警官や自警団の人々に殺されました。それから72年後の1995年、阪神淡路大震災の際には、神戸の朝鮮学校に日本の被災者が避難し、朝鮮総聯の炊き出しに日本人も並び、民族を越えて助け合う姿がありました。私たちは、平和な未来を希求しています。殺し合いではなく助け合いを願っています。今後も、日・朝・「韓」の民衆同士、しっかり手をつないで生きていきましょう。

2002年10月20日

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