民族史の創造に寄与したい

8.15統一祝祭に参加した歌手の李定烈さん


自身の転換点にもなった87年

「民族史の創造に寄与したい」と李定烈さん

 「民族について、統一について考える歌手になりたい」。一点を見つめる、キラキラとした眼差しに驚かされた。

 昨年8月15日、平壌で開かれた祖国解放を記念した北南統一祝祭に参加した。北を訪れたのはもちろん初めてのことだ。そして今年も、8月15日にソウルで開かれた祝祭に参加した。「キョンイソン タゴ(京義線に乗って)」「チョルマン アペソ(絶望の前で)」など、国の統一、それを願う若者たちの心情を歌い、南で広く知られている李定烈さん(34)。

 87年に韓国外国語大学に入学した。折もおり、南全土では軍事政権との決別をめざす民主化運動が燃え広がり最高潮に達していた。その「周辺に位置していた」という。この時に、「不条理な事、正しくない事を過ちだと言えないのは卑怯だと思った」。そして、統一の歌の普及に努めていた音楽団体「ノレマウル(歌の村)」に触発され、元来、好きだった歌手の道に。

 96年に初めてのアルバムを出した。そのなかに収録された「ク パラム アッペ ソミョン(風の前に佇めば)」がもっとも気に入っている歌だという。自身が作詞したこの歌は、核戦争の危機を広く知らしめようとしたものだ。

民族守り抜く同胞生徒に感動

 「6.15共同宣言は衝撃だった」。みんなの考えが変わったことを肌身で感じた。それまで自分のなかで観念的だった「統一音楽」が、実践的なものに変わっていったという。

 今年9月初、観光客で賑わうソウル市内の仁寺洞を、チマ・チョゴリ姿で歩く在日同胞女子生徒たちを偶然見かけた。ソウル、全州で芸術公演をした女子生徒たちだった。

 「日本社会で民族を守り抜くということには、私たちの想像を超えた何倍もの困難がつきまとうと思う。南の社会ですら失いかけている民族。それを守り抜いている姿に感動したし、感謝したいとも思った」

 そして、昨年、平壌を訪れた時の印象について次のように語った。

 「解放後、南の音楽は米国、西洋の影響を色濃く受けた。北では、新しい体制内で力強く文化運動を繰り広げ、それを今も推進しているという。だから、美しいという観点1つを取っても受け止め方が違う。それを1つにしていく作業が必要ではないか」

 一見、困難な課題のようだが、十分可能だと言いきる。「アリランには、南北の人々が同じように感動する。だから、つなぐ方法がないわけではない。そのためにも音楽という分野で力を尽くしていきたい」。

 今後の抱負について、「この世界で、誰にも認められる力のある歌手になりたい。統一の事や民族の問題について堂々と語れる歌手になりたい。ただ単に歌をうたうのではなく、本当の民族の歴史を作り上げていくうえにおいて、小さな力だが音楽を通じて寄与できるようになりたい」。

 7歳(女)と5歳(男)、2児のアボジ。「子どもたちの顔を見ている時が一番安らぐ」、と最後にはどこにでもいるアボジの表情に戻った。

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