あの時、このひと言


 「日本学校との交流は数え切れないほどやってきた。しかし、朝鮮の文化や歴史、芸術を伝えるという意味では役割を果たしてきたものの、地域に貢献し、同じ地域に住む住民として関係を築いてこられただろうか。地域に根ざすとは、人間関係を築くという当たり前のことに気づかされた」(広島初中高で開講したカルチャースクールの事務局担当・諸葛賢教員)

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 「木を見るのはたやすいが、森を見るのは難しい。同じく差別発言はすぐ見え、聞こえるものだが、社会の差別構造といったあまりにも巨大なものは、非常に見えにくく、認識しがたいもの」(フリーターの宋実成さん。本紙に寄せた投書から)

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 「正直、ピョンヤン学生少年芸術団の公演が中止になり、みんな力を落としていた。でもこんな時やからこそやってやろうじゃないかと逆に気合いが入っている。今後の青商会事業をどのように発展させていくかについて真剣に考える契機にもなった」(大阪府青商会の文煕哲幹事長。大阪で開催される青商会主催の民族フォーラムを前に)

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