香川のハンセン病療養所で一生終えた崔斗伊さんを偲んで

同胞、祖国、片時も忘れず

金永子


 ハンセン病療養所で1人のハルモニが亡くなられた。幸せだったのか? 今となっては知る術もないが、在日同胞1世ハンセン病患者ということで厳しい人生であったことは想像に難くない。ハルモニを一人でも多くの人の記憶にとどめてもらいたいとペンを取った。

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 高松港(香川県)から船で20分ほどのところにある小さな島に国立ハンセン病療養所大島青松園がある。崔斗伊(松野鏡子)ハルモニは、2002年8月1日、この療養所で91年の人生を終えられた。ガンであった。1911年1月4日に慶尚北道で出生、41年8月13日に青松園に入所。実に人生の3分の2をこの療養所で暮らされたことになる。

 「4人きょうだいの下から2番目で、兄、姉、妹がおります。幼い頃はおてんばだったようで、両親のおかげで苦労知らずに育ちました。両親に反対されましたが、22歳の時、日本に行きたくて、渡りました。最後に見た母の顔は今でも忘れることができません」と彼女は語っていた。日本各地を転々とし大変苦労され、28歳でハンセン病を発病。治療のために通った病院でやはり治療に通っていた徐外道氏(松野常吉、1983年死去)と出会い、一緒になった。「この病気は世間の人に嫌われ辛かったけれど、2人で商売をしながら暮らしていた」。しかし、療養所へ行けと強く勧められやむなく30歳の時に夫とともに青松園に入所。患者専用の列車に乗せられ、船では荷物と同じ扱いだった。入所の翌年に母親死亡の知らせを受け、その翌年には崔斗伊ハルモニが失明する。

 療養所での生活は「療養」とは程遠い過酷なものであった。そのうえに、朝鮮人差別も重なった。59年に成立した国民年金法に国籍条項が設けられたために、朝鮮人には年金が支給されないという事態が生じ、全国の療養所の在日同胞は組織を作り、闘いを繰り広げた。崔斗伊夫婦も大きな怒りを感じ、年金差別をなくすために積極的に活動された。

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 夫が亡くなってからは部屋を訪ねる人も少なくなり、晩年は療養所の外に出かけることもなくなった。ラジオでピョンヤン放送を聴く楽しみも耳が聞こえにくくなりなくなった。「自分は祖国や民族のために何も出来ない。せめてお金でも」と、療養所で支給されるわずかな給与金を衣服も買わずに節約し、10万円や20万円といった金額になると年に数回のペースで四国朝鮮初中級学校(愛媛・松山市)に送り続けた。学校側はハルモニの気持ちを形に残したいと、87年には彼女からの寄付金ですべての教室に時計を掛けた。時計には「崔斗伊」の名前が記されている。

 「子どもたちのために生活費を切り詰め送ってくださる気持ちは、朝鮮学校を建設した当時の同胞の気持ちと重なる。民族教育の宝物だ。だから子どもたちにハルモニの思いを伝えてきた」と趙成虎氏(前・四国初中校長)は語った。青松園で生徒たちが公演したり、生徒たちからハルモニへ便りを送ったりという交流も進んでいた。時計は今も時を刻み続けている。

 ハルモニは同胞の訪問をとても喜んでいた。部屋で話をしている間は手を握りしめ離そうとされず、帰ろうとするといつも「もう帰るのか」と寂しそうな顔をされた。いつだったか彼女に果物を勧められたのに、帰りの船の時刻に間に合わないとお断りしたら、怒りと悲しさを含んだ口調で「気持ちが悪くて食べられないの?」とおっしゃられたことが忘れられない。ハンセン病に対する偏見や差別を受けてきた体験がそのように言わせたのだ。

 何日も、何週間も、いや何カ月もかもしれない、職員以外の人と一言も会話を交わすことのない日々。ハルモニの生活を想像する度に「孤独」という言葉が私の胸を押さえつける。日本のハンセン病患者の強制隔離政策がなかったら、植民地支配がなかったら、ハルモニの人生は孤独と縁遠いものになっていたのではないだろうか。

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 今も全国のハンセン病療養所に約220人の在日同胞が暮らしている。今でこそ生活は改善されたものの、異国の地の、療養所とは名ばかりの「強制収容所」で死ぬまで生きることを強いられた生活、病気や差別との闘い、そのような状況の中でも祖国や同胞のことを片時も忘れずにいる同胞元患者の方々の熱い思いを崔斗伊ハルモニに見たような気がする。

 ハンセン病に対する同胞の偏見は強い。「ムンディ、ムンドゥンピョン」という言葉に象徴される偏見と、患者を排除してきた事実を見つめ直す時期ではないだろうか。ハルモニの祖国や同胞への思いを片思いに終わらせないためにも。

 カラオケが好きだったハルモニ、ピョンヤン放送を真夜中に聴いていたハルモニ、目が見えなくなってからも針仕事をしたハルモニ、おこりんぼで泣き虫のハルモニ、同胞を愛し続けたハルモニ、そして何よりも子どもたちのしあわせを願っていた崔斗伊ハルモニ、やすらかに。(四国学院大学教員)

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