釜山アジア大会 -下-
「統一したらまた会いましょう」
分断の悲劇に終止符を
「統一」を伝えたマスコミ
大会期間中、南のマスコミは連日、北の選手団、応援団の動向を積極的に取材し報道した。
KBSのクム・チョリョンさん(36、報道局統一部)は今大会、競技以外の周辺取材を担当したのだが、北の選手団、応援団に密着しつづけた。「スポーツといえども政治の思惑に左右されるのは当然ですが、今回の釜山アジア大会では、政治とは離れたところ、スポーツの分野でいかに南と北の人々が交流を深め1つの民族であることを確認するのか、そこに興味がありました。実際には私の想像を越えた成果があったといえるでしょう。この統一への熱気をいかに人々に伝えるのか、私が最も力を入れた部分です。いま南で、一部の人間は別として、統一を促進する方向で取材し報道しないマスコミ人はいないし、それこそがマスコミ人の役目だと思っています」とアジア大会での仕事を振り返る。 競技場のあちこちで、北の選手団、応援団からなんとかコメントを取ろうとするマスコミと、人の壁を作り警備に当たる警察隊との攻防戦が繰り広げられていた。「6.15共同宣言の内容を推し進め1日も早く統一を実現させよう」「南の人たちとの触れ合いのなかで同じ民族であることを強く感じた」「金メダルを取ることにより統一に少しでも寄与できたことがうれしい」など、北の選手団、応援団が語る統一へのメッセージを新聞各社は積極的に伝えた。 中央日報のチョン・チャンヒョン記者(30)は、「釜山にこれだけ大勢の北の人たちが訪れそれを身近に取材できる、こんなにうれしいことはない。今大会が統一への大きなステップとなった事実を伝えていきたい」と語る。 統一の火を絶やすことなく 釜山で開かれた大会であったが、釜山市民だけが大会につめかけたのではない。ソウルから来たというチェ・ガンヨンさん(51)は故郷が平壌だといって北の記者団に話しかけてきた。「平壌から来た人たちを一目見ようとやってきた。こうして北の人たちと会うと涙が出てくる。父が朝鮮戦争の時に南に渡ってきた。父の故郷にどうしても行ってみたい」と北の記者たちの手を握る。ガンヨンさんは「統一」というホームページを開設し、民族が1日でも早く1つになる日を待ちわびている。
名前を出すことはできないが、釜山で非転向長期囚だという老人や離散家族などが多く南の各地から集まってきていた。南の地で感じた「統一への熱望」は「分断の悲劇」の裏返しでもあった。 出会いがあれば別れがある。閉会式に参加した南のキム・デヒョ選手(26)は、「初めて北の選手と出会ったときは壁を感じたが、選手村で食事も一緒にしあいさつを交わすなかでその壁がなくなっていくのを実感できた。統一はすぐにでも実現できる、そういう思いをこの大会で持つことができた」と北の選手たちとの16日間を振り返る。 10月14日タデポ港、元山へと帰る「万景峰92」号を見送ろうと南の市民数千人が集まった。そのなかに北のケ・スニと最終聖火ランナーを努めたハ・ヒョンジュさんの姿もあった。「統一の聖火を点火できたことは私個人の名誉ではなく民族全体の栄光です。統一を照らすこの火をいつまでも消すことなく燃やしつづけ、必ずひとつにならなければ。大会に参加した北の選手、応援団に感謝を述べたい」と晴れ晴れとした表情で語る。 パク・ヨンミンさん(21)は埠頭を離れる「万景峰92」号を見つめながら、「あまりにも悲しい。船を引っ張って連れ戻したい気持ちです。統一した日に必ずまた会いたい」とその心情を吐露する。 「統一したらまた会いましょう」―北から、南から、最後に交わした言葉の実現がそう遠くないことを確信することができた。 (琴基徹、千貴裕記者) |