山あいの村から-農と食を考える- (3)
少ないお金でいい暮らしを
佐藤藤三郎
食物の安全性が問題になっているさ中。無認可農薬の使用が発覚されてたいへんなさわぎを起こしている。果樹や野菜を栽培していない私には直接かかわることはないにしても、農業者のひとりである限り、けっして無縁の存在ではなく逃げたり、黙っていたりしてはいられなく、心重い。
o o 昨年はBSE問題で世をさわがせ、それにからむかのように雪印食品の偽装問題、日本ハム、さらには全農、生協などまでが外国産のものを、国内産だと偽装して売り込むなどが相ついで起こり国民の食に対する不安がこの世に大きな波をわきたたせている。そして、これに対し、「農薬を売った人が悪い」とか「買って使った農家が悪い」などの声を耳にするが、私はこの問題は、そうした単純なことをいい合って解決すべきことではないと思っている。なぜならその根本は食料を商品としてしか見ない、扱わないといった経済的観念とその行為、さらにいえば食料政策こそがその根本的要因であると考えるからである。 ダイホルダンなど、無認可農薬は、安価でよく効く、さらには果実の色彩までがよくなり、市場価値が高い見ばえのよい品が出来る。となれば、使いたくなる心情はよくわかる。もちろん使って良し、などという気はないが、そうした農薬を使って欲しくない。または使わせないようにするのでなく虫や病気のついたもの、あるいは色や形の悪いものが高く売れること、買ってくれる人がいなければならないのである。しかし現実は、全くそうではない。農薬も使わず、虫や病気の傷もなく、色も形もよいもの、しかもそれを安く買いたい、とするのが市場などの流通機構であり、消費者であるからだ。そしてそれを満たすかのようにして外国からの食料輸入を増大させている。 つまり、この農薬問題の根元は、経済のグローバル化に合わせ、農業もその渦の中におし込めてあるからである。したがってこの問題をほぐす手だては、その渦の中から農業も脱出させ得るか否かといったことまでを解いていかねばならない重大な課題に連なることなのである。 にもかかわらず、日本の食料事情はアメリカのみならずアジア周辺の各国からもますます攻め込まれつつある。単なる工業製品の輸出に対する見返りとしてだけでなく、外貨獲得のため企業が農業をおこし、日本に攻め込んでいることに目を注がなければならない。 その影響が、山あいの私の村では、田畑の耕作放棄として現れている。日本の輸出産業としていち早く国家の総力をあげて興した絹(養蚕)が駄目になり、桑畑は皆無となった。米の消費減少とあわせ、ミニマムアクセスによる輸入米の増加などで米価が下がり、加えて減反政策のもとで水田の耕作放棄も増大している。80ヘクタールあった水田は、今は半分の40ヘクタールほどしか耕作されていないありさまだ。 o o したがって山間のこの村では、農業は経済行為としての域からすっかりはずれてしまい、農業は経営としてなりたたず、自給用として、庭に花を植えて育てることのような存在にしかなくなっている。それでうまい米、安全な野菜を数多くつくり、少ないお金で、いいくらしを、をモットーにしながら生きているのである。これもまたよし、わが家の妻がつくった里芋は今年とてもよく育った。そしてやわらかくてうまい。牛の堆肥をたんまりいれてあるのに、夏の干ばつ時には盛んに水かけをしたからだ。山形では秋の芋煮は名物料理のひとつ。牛肉とこんにゃく、それにねぎをいれて大きな鍋で煮る。味付けは醤油。そして、河原や、野原で、芋煮会と称するものが開かれる。大人も子供も。家族づれや、職場のグループ、さらには小学校の生徒までが、これを行う。今では石で窯をつくることはあまり見られないが、私が小学生の頃は、それをつくり、山から薪を集めてきて火をたいて煮たものだ。しかも戦争中も、この芋煮会は休みなく行われた。もちろんその頃は牛肉はなく、みがきにしんがその代役だった。 10月と11月の2カ月にわたって、その芋煮会には何度も参加する機会がある。それでもあきたりしなく楽しく、おいしく、酒もうまい。(農民作家) |