われらのチャンプ 洪昌守ストーリー -5-

同胞の応援あってこそ

「最も尊敬、かけがえのない宝」


父母の想い

どんなに忙しくても駆けつけた空手の試合(2列目、右から3番目に表彰状を持つ洪選手。隣がオモニの敏子さん、一番左がアボジの炳允さん)
いつも友達に囲まれていた中学時代(後列左から3番目、写真はいずれも両親提供)

 東京・大田区。小さな町工場や住宅が密集する地域に、WBC世界スーパーフライ級チャンピオンを生んだ洪昌守選手の実家がある。

 玄関をくぐると左にある居間はさながら「洪昌守スペース」。壁には活躍を報じた新聞記事や写真が飾られ、出版された本や数々のトロフィーが所狭しと並ぶ。

 洪選手が幼少期から大阪に発つまでを過ごした実家には現在、両親の洪炳允(64)、権敏子(59)夫妻が犬のマイネルとともに暮らしている。夫妻は上の2人の息子とともに産業廃棄物工場を営むかたわら、大阪で孤軍奮闘する洪家の末っ子の身を案じる日々だ。

 「本当は今すぐにでもやめてほしいくらい」と敏子さんは本音を隠さない。毎回の試合を胸がつぶれる思いで見守る。「できるだけ打たれないように」と、試合の1カ月前には必ずお参りするという。

 洪選手のことを「思いやりが人一倍強い子」と語る。「幼い頃からいつも友達に囲まれていて、うちは昌守の友達の溜まり場だった」。高級部に進学し、ボクシング部に入部した時は「自分が決めたこと」と反対こそしなかったものの、「当たり所が悪ければ、命にかかわることもある。内心は心配でたまらなかった」(敏子さん)。

 臨月までダンプに乗り、産後1カ月すぎには仕事に復帰。首の座らない昌守を助手席に乗せ、炳允さんと大喧嘩したこともあるほどの「肝っ玉母さん」である。5人の子どもを朝鮮学校に通わせるため、炳允さんと2人3脚で必死に働いてきた。どんなに忙しくても「家族の輪」を大切にし、朝も明けないうちからの5人分の弁当作り。運動会、学芸会など学校行事への参加は欠かしたことがない。

 一方、炳允さんは幼い頃から空手の手ほどきを通して洪選手の成長を見つめ続けてきた。若い頃、朝鮮人という理由で世界大会への出場資格が認められず断念した「空手の世界舞台への挑戦」という夢を息子に託しているかのようだ。

 「何に対しても一生懸命に取り組む子で、中途半端ということがなかった」(炳允さん)
 在日朝鮮人を公言するためなかなかスポンサーがつかないというハンディを取り除こうと、Tシャツやパンフレット、ポスターの手配から、チケットの販売までを一手に引き受けている。「大変だが、世界チャンピオンの親にはそうなれるものじゃない」と誇らしげに語りながら洪選手を支える。

 そんな両親のことを洪選手は「最も尊敬する、かけがえのない宝」だと語る。「苦しいなか、朝鮮学校に通わせてくれて、朝鮮人として立派に育ててくれたことに心から感謝している」(洪選手)。

 8月26日、洪選手の5度目の防衛戦が行われたさいたまスーパーアリーナの会場入り口には、同胞応援客一人ひとりにあいさつの言葉をかける夫妻の姿があった。

 「不景気のなか親身にチケットを購入してくれるのはやっぱり同胞。本当にありがたい」(炳允さん)

 「同胞の応援あってこその昌守。これからも温かく見守ってほしい」(敏子さん)
(李明花記者)

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