山あいの村から-農と食を考える- (2)

「『鋤焼き』のうまい季節だ」

佐藤藤三郎


 9月に入るとデントコーンのサイロ詰めをはじめる。サイレージは牛の越冬飼料として欠かせないものなのだ。肥育にはそれを使わないが酪農や、和牛の繁殖(子を産ませること)には必要欠かせないものなのである。

 私は和牛の母牛を9頭飼っている。それらの牛に、青草がなくなる11月から、春4月までの半年間、藁と、デントコーンのサイレージを主として与えるのである。

 デントコーンを刈り倒し、運んできて、細断してサイロに詰める。その仕事はわが家にとっての大仕事だ。北海道などの大規模畜産農家では、刈り取りと細断を一緒に出来る機械を用い、それをダンプカーで運んできてサイロに詰める、といったやり方をするのだが、わずか10頭にもみたないわが家の場合はそうした設備は持っていない。それで作業はほとんど人力でやらねばならない。車に積む作業も重労働だが、カッターで妻が細断したのを、私がサイロの中で踏み込む仕事もすごくたいへんだ。空気が動かない穴の中に居るものだからむんむんする。そして汗が流れ出る。作業着はびっしょりと汗で濡れ、べたべたと肌にくっつく。

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 昔は牛を飼っている人たちはみんなこうしてサイレージをつくっていたのだが、もはや私の近くにはそうした農家はみられない。どこの家にも、農作業のための役用として、1頭か2頭の和牛は居たのだが、耕耘機や、トラクターなどの機械が入ってからはそれが居なくなり、牛飼いは牛飼いの仕事を、と専業化したのである。だから私のような10頭以下の牛飼いなどは「牛飼い」の中に入らないようになってしまっているのだ。

 肥育をやっている人も、酪農をやっている人も、50頭とか100頭の牛を飼っている。なかには200頭だとか、500頭を飼育している人もいる。ところが、そうした多頭飼育をやっている人は、私のように自分で草を栽培したり、デントコーンをつくったりはもうしないのだ。自分でつくるよりも、買った方が安あがりだからである。周知のように、日本の国の穀類の自給率は28%でしかない、というが、なかでも家畜に与える穀類などは、それがゼロといってもおかしくないほど、輸入ものでまかなっているのである。だから、牛肉だけでなく豚肉も、鶏卵も、たとえ国産といわれるものであっても、その源はみんな外国のものといっていいすぎではないのである。

 いや、いや、それが穀類だけかといえばそうではなく、乾草、それに藁までが、中国や「韓国」から輸入しているというのだからたまらない。しからば日本の田んぼの藁は、といえば、刈りとりのときに細断し、みんな捨てるが同様田んぼの中にすき込んでいるのである。つまり、大事な資源を単なる損得勘定だけで、生かすことなく無駄にしているのだ。いったいそれでいいのか、と私はひたすら歯をくいしばりながらデントコーンのサイレージをつくるのだ。

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 そもそも畜産という仕事は人間のたべられないもの、あるいは穀類などをつくれない土地に、草を生やし、それを家畜にやって、肉や乳を生産することなのである。その本来のあるべきことが、「金」の勘定でみんなこわされているのが日本の国勢であり、農業の姿なのだ。

 人間がたべる穀物よりももっと上等の穀物を牛に与えてサシの入ったうまい牛肉をつくる、これが最高の農業のやり方だ、みたいにして競いあっているのだが、こうしたやり方をいつまでも神は許すことはあるまいと私は思っている。

 牛肉といえば、そろそろ鋤焼きがうまい季節だ。この「鋤焼き」というのは、田畑や山、つまり野良で火をもやし、田畑の耕起に使う鋤の上で肉をやいてたべたのがはじまりだという。料亭などで高いお金を払ってたべるものではないのである。糸こんや、自家でつくった豆腐、それに白菜やねぎや春菊や人参、さらには山からきのこをとってきてそれを雑多に煮込んでたべる。それがほんとうの「鋤焼き」なのだ。ロースなどでなくバラの安い肉でいい。たんまりとそうした野からとれたものを入れて、地酒をのみながらこの秋も鋤焼きをたべるべ。

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