パンフ紹介
豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争と
京都「耳塚」について
今年は、壬辰戦争(豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争)が始まって410年になる年であり、「京都耳塚=鼻塚」が築造されて405年になる年である。
壬辰戦争は、その背景が非常に複雑であり、朝鮮民族にとって、最も残酷な受難の歴史であった。この侵略による残酷な虐殺と、国土破壊によって、現在も朝鮮民族の心に深い「恨=ハン」を残しており、朝鮮各地には、それらの遺物・遺跡が多く残っている。日本にもその爪痕は深く、残忍な虐殺の象徴的遺跡が、京都の耳塚である。このパンフはこの残忍な蛮行の全貌を伝え、さらに日本の歴史の中で誤って伝えられた記述を正し、歴史の教訓を省察しようとするものである。 9月28日には、例年通り京都「耳塚」で「壬辰戦争と京都『耳塚』の正しい歴史を多くの同胞と日本人に知らせる」慰霊、供養、追悼の集いが開かれた。 日本では、壬辰戦争を起こした秀吉について、明るく庶民性に富み、百余年続いた戦乱を終結させ、日本を統一する偉業を成し遂げた尊敬すべきヒーローとして持ち上げてきた。 反面、朝鮮では壬辰戦争の体験を通じ、秀吉は、鬼のような悪行を重ねた日本軍の頭目であると認識している。 壬辰戦争の被害を知れば、朝鮮の人口は、当時推定で500万人であるが、日本軍による虐殺は数十万人、それに数倍する飢餓と疫病による死者がでたのである。この戦争によって100万人以上、総人口の5分の1以上が死んだのである。この歴史的事実に基づいて、朝・日の両民族は主体的に歴史の教訓を学び、現代の複雑な問題にいかすべきであろう。 |