東アジアの新地平2002 変革に向けて(2)

21世紀にふさわしい歴史認識を

「東学農民革命国際学術大会」に出席 中塚明さん

無名東学農民軍慰霊塔

無名東学農民軍慰霊塔(部分)

謝罪しない日本

 米国での同時多発テロを受けて、日本政府はテロ特措法を制定し、米軍の意のままに自衛隊をアフガニスタンに出動させた。過去の反省もないままに自衛隊の派兵体制を確立した日本。国内には「テロ撲滅をめざす国際社会の列に、日本の主体的判断で加わることをためらってはなるまい」(朝日新聞01年9月21日付)などという戦争賛美の声が渦巻いている。

 まさにこの現象こそは朝鮮の完全制圧を目論んだ日清戦争 (1894〜95)の際、当代随一の知識人・福沢諭吉が、この戦争を「文明対野蛮の戦争」と評し、「野蛮な朝鮮」を侵略する後押しをした風景と重なる。そして、今でも隣国・朝鮮を「野蛮な体制」と決めつけ、「制裁」、「有事の際の朝鮮半島での武力行使」を叫ぶという状況に変化はない。

 なぜ、明治以降の歴史認識がいまだに改められてないのか。朝鮮近代史研究の第一人者・中塚明奈良女子大名誉教授は次のように指摘している。

 「天皇の戦争責任が免責されたことによって、日本では第2次世界大戦前の軍国主義が温存され、侵略戦争を正当化し『謝罪しない日本』という醜い体質が今日まで続く大きな原因になった」(「歴史の偽造をただす」)。

 中塚さんは昨年5月、全羅北道の全州で開かれた「東学農民革命国際学術会議」に出席し、1894年、東学農民軍が蜂起した遺跡のフィールドワークにも参加した。中塚さんが感銘を受けたのは、そこで見た「無名東学農民軍慰霊塔」である。主塔のまわりに背丈の低い花崗岩の補助塔が立てられ、無名の農民の顔、武器として使われた竹槍や鎌、また大事な茶碗などが刻まれていた。「誰でも近づいて、さわって、あるいは抱きしめたい人は抱きしめることができるようにつくられていた」。

 中塚さんはこの塔の印象を、「蜂起した一人ひとりの無名の農民たちの無念を思い、その志を継いで、これから生きていこうとする今の人たちの意思が示されていた。補助塔に刻まれている農民の顔は、日本軍によって徹底的に鎮圧され、少なくない朝鮮農民が、見せしめのための梟首、さらし首にされた、そのイメージで刻まれているように思えた。韓国の人たちが日本の侵略の事実を決して忘れていないことの表れ」だと語った。

意識の深い溝

 日韓W杯サッカー共催で、空前の友好ブームが演出されている。しかし、東亜日報と朝日新聞の昨年末の世論調査によっても南の人々の「日本嫌い」は70%にも上り、依然として意識の溝は埋めがたいものがある。

 現在、自由主義史観と称する強盗史観とも言うべきゆがんだ歴史認識の潮流が日本に台頭している。彼らは「日本は侵略国ではなかった」、「慰安婦は商行為」「補償要求は金欲しさ」などと言う恥ずべき言辞を繰り返しながら、侵略戦争賛美をエスカレートさせている。朝鮮への偏見、事実を確かめない独断、それらがメディアを通じて、日本列島を駆け巡っている。

苦悩の歴史共有

 中塚さんは2年前の平壌での南北首脳の出会いと6.15共同宣言をテレビで見て「こみあげる感動をおさえることができなかった」と振り返った。そして、共同宣言の5項目のうち「統一問題を民族同士が、互いに力を合わせて自主的に解決する」とした第1項を、6.15共同宣言の核心だと指摘する。それは、19世紀以降の朝鮮民族が体験してきた民族的苦悩を思い起こすからである。

 「外国勢力の侵略に反対してたたかった人たち、たたかいの中で犠牲になった人たちはもとより、心ならずも外国勢力に屈した人たちも含めて南北共同宣言に対する感慨が地底から聞こえてくるように思えた」

 「『明治を栄光の時代』として、日露、日清戦争で日本が朝鮮で何をしたかを不問に付すことは、結局、日本の近代史全体を見誤ることになる。独善的な歴史観が再び日本を覆うならば、日本の亡国につながる」。中塚さんは警鐘を鳴らし続けている。(朴日粉記者)

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