春・夏・秋・冬

 阪神大震災から7年が過ぎた。家族・親せきが大阪、兵庫に集中して住む筆者にとって、あの震災は東京にいながらも人事ではなかった。電話が通じないために誰一人の安否も確認できず、本当に居ても立ってもおれなかった。かといって何もできない無力さ

▼午後になって兄から電話が入り、ホッと一息をついたが、それでも気持ちは落ち着かなかった。というのも、神戸の近郊に住む80歳近いコモ(父の妹)の消息がつかめなかったからだ。兄妹たちがあちこち、あらゆる手立てを使って探し回った末に、下半身が倒れてきたタンスの下敷きになり病院に担ぎ込まれていたことがわかった。不幸中の幸いだった

▼いうまでもなく、阪神地域の同胞社会は大打撃を受けた。肉親を、家屋を、職場を失った人たちは数知れない。1月17日を忘れないために毎年、この日の昼食のメニューを缶詰、乾パンに決めたある会社の紹介記事に目を通しながら、今の同胞社会はどうなのだろうか、とふっと考えた

▼当時、阪神地域には全国各地の同胞たちから支援の手が差しのべられた。物資はむろん、現地での炊き出しなどボランティア活動にはせ参じた人たちもいた。日本社会の動きに先んじた活動は、民族という垣根を越えて地域全体におよび、「災い転じて福となす」ではないが、朝・日の友情が厚くなる契機にもなった

▼内外ともに、非常に厳しい状況下にある同胞社会。いま求められているのは、「絵に描いた餅」ではなく、阪神大震災の時に目撃した、心から信頼し合える絆を深めることではないだろうか。(彦)

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