それぞれの四季
ピョンヤンで会おう
梁愛齢
「普通の日に、同窓会をしよう!
場所は、ピョンヤンのチョンリマ (千里馬)銅像の下で」――そんな約束したのは、中学生の頃だ。
ウリナラと言えば、ピョンヤン、ピョンヤンと言えばチョンリマ銅像というような時代だった。 現在あるシンボル的な建造物はなく、ピョンヤンに行った人もいなかった。今でさえ、私は、夏のピョンヤンしか知らない。だから、私は夢の中で、いつもプラタナスの大きな葉が陰を落としている道を急ぐのかもしれない。でも辿りついたことはない。 心だけなら幾度となく白い石畳の広い歩道を走れた。でも夢だと分かっているので、途中で立ち止まってしまう。まだ、その日ではないから。 行き先は、はっきりしている。時間は、1日中。何よりも大事なのは、必ずその日は、 普通の日 だということだ。 72年、7.4南北共同声明が発表された年、級友が帰国することになった。送別会で誰かが、こう言ったのだ。 「統一した日の1年後の次の日に、ピョンヤンで会おう」 統一記念日は、いろんな行事で忙しいはずだから1日たってからみなで会おうと。 「きのう」と比べると、本当に何でもない日を私たちは選んだのだ。その理由は、その日が特別な日の翌日だから。 あれから30年が、過ぎようとしている。私たちは同窓会をしていない。 「ピョンヤンでチョンリマ銅像の下で、統一した日の1年後の次の日に、みんなで会おう」というあの日の約束を果たそう。(会社員) |