輝け!働く女性たち 〈1〉
民族教育の現場
オモニ教員たちに活躍の場を
昨年秋口のこと。出産のため、学校の教員を辞めることになった先輩教員を見て、元教員の友人から電話がかかってきた。
「世知辛い世の中だね。このままだと、うちらが学父母になる頃には、オモニ教員がいなくなるよ…」。 どきりとする一言だった。学生時代、オモニ教員にはずいぶんお世話になった記憶がある。 こんにち、日本の経済不況の波は、朝鮮学校の経営にもかなりの悪影響を及ぼしている。その風の直撃を受けて教育の現場から女性が結婚や出産を契機に退くとしたら…。この事態、当事者や学父母たちはどのように受けとめているのだろう? さっそく、話を聞きに出かけてみた。 「産休=退職」の現実 張慶仙さん(仮名・31)は、93年春から念願だった母校の教員になり、4年目の春、同僚の男性教員と結婚。しかし、妊娠が判ると翌年3月、「産休」という形をとって一時教壇から身を引くことに。この場合「産休」といっても、「実質的には退職」である。同じ学校で教鞭をとっていた夫は、今も教員を続けている。「全般的に余裕がないんですよ。生徒を受け持っている手前、つわりや子供の急な発熱とかで休んでもいられないし、授業の穴埋めも大変。一部の女性教員たちが結婚を期にやめるのも、周りに迷惑をかけたくないからなんじゃないでしょうか」。 彼女の話によると、学校側にも女性より男性教員を選ぶ傾向があるという。「出産のない男性なら、長く続けられる。少人数でハードな職場環境ということもあるし」。 張さんは5、6年後、再び教壇に立ちたいと考えている。でも、教員を希望する新卒者たちのことを考えると、その間のブランクを克服し、また教壇に立てるかどうか不安になることもある。しかし、復帰の意思は強い。 「理想を言えば切りがない。でも、教員は、若手とベテラン、男性と女性がバランス良く配置されるのが良いと思う」。それは、子を持つ母となってよりいっそう思うこと。大学を卒業してすぐには、優れた教員になれるはずがないからだ。「教育は100年の大計」といわれる息の長い事業。だからこそ、ベテラン教員から学ぶことが大切なのだ。 世代交替は必要だけど 一方、ベテラン教員だった朴英蘭さん(仮名・60、今は退職)は、「私たちの時代は教員が足りなかったから、辞めようにも辞められなかった。いまはたくさんの人たちが高等教育を受けて、教員の補充が利くようになっている。逆に、生徒の数が減っているのが心配だけれど」と言いながら、「良い意味で言えば、世代交替をしなくてはいけない。でも、能力があり、やる気のある人材が出産を理由に教育現場を退くのは、教育の先行きを暗くすることになりかねない」と指摘する。 また、妊娠し、生命を育む女性教員の姿を通じて、生命の貴さや働く女性への親近感を自然に身につけることができる。本来の教育の原点がここにある。そのためには人材を長期的なスパンで育成する視点が欠かせない。 「もちろん経済的な困難はあるだろうが、豊かな経験と情熱を持つ先生をたくさん育てれば、10年後の教育現場は安心…」と話す。(金潤順記者) |