厚生労働省 在外被爆者差別法制化へ
「3年以内渡日、手帳交付」「死を待つ」宣言
昨年末、日本政府は自らの責任によって被爆させ、その後も原爆の後遺症に苦しみ続けている在外被爆者を法の名のもとに切り捨てることを決めた。今までも被爆者を救済する唯一の法律である被爆者援護法の対象から在外被爆者を排除してきたが、法制化を明言したのは初めてだ。従来の不当な立場を踏襲するとともに、それを法律に明記するという徹底した差別政策に在外被爆者たちの怒りは頂点に達している。
さらに後退
この決定は昨年12月18日、坂口力・厚生労働大臣が記者会見で発表した。昨年7月に同大臣が設置した「在外被爆者に関する検討会」(座長=森亘・日本医学会会長)の報告を受けたもので、内容は@被爆者健康手帳が日本国内においてのみ有効であることを法令に明記するA3年以内にすべての被爆者が渡日して被爆者健康手帳の発行を受けることができるようにする――などだ。これらの事業は広島県および市、長崎県および市に委託する。 最大の問題点は、被爆者援護法が日本国内でのみ効力を持つことを法令に定める、と決めたことだ。 1994年に制定された同法は、それまでの原爆医療法(57年)と原爆特別措置法(68年)を一本化したもので、被爆者ということが認められれば被爆者健康手帳が交付され、無料で健康診断や生活手当が受けられる。国籍条項や居住地規定など支給対象は明文化されていない。 しかし、日本政府は在外被爆者に手帳を交付しなかった。さらに、74年には在外被爆者を対象外とする通達を出し、そして今回ついにこのような差別を法律に明記することを決めた。在外被爆者を切り捨てると公言したようなものだ。 渡日を条件にすべての在外被爆者に被爆者健康手帳を交付するというが、大多数の被爆者は高齢で原爆の後遺症によって体が不自由なため、現実的には日本に来ることは難しい。 この間、坂口大臣はソウルを訪問して援護法の見直しに取り組む方針を伝えたり、今回の対策についても「あくまで第1歩」と位置づけているが、これはき弁に過ぎない。というのも、3年以内の手帳交付期限を設けることで、「高齢化した被爆者が死ぬのを待っているのだ」(南朝鮮在住の被爆者、郭貴勲さん)。 一貫して排除 日本政府が在外被爆者問題を検討せざるをえない状況に追い込まれたのは昨年6月、大阪地裁で画期的な判決が下されたからだった。同地裁は、在外被爆者への被爆者援護法適用を求めた郭貴勲さん(77)の訴えに対し、「(在外被爆者排除は)憲法14条に反するおそれもある」として、日本政府に同法の見直しを求めた。 日本政府は@援護法の立法趣旨は在外被爆者を対象にしていないA99年3月の広島地裁判決では国側が勝訴している――などの理由をあげ控訴したものの、「控訴するな」との運動の高まりに在外被爆者への援護施策のあり方を検討する検討会を開催することを決めた。 在外被爆者問題の解決に長年携わってきた在韓被爆者問題市民会議の中島竜美さんは、「大臣が援護法改正を視野に入れると明言していたので検討会に期待もしていた。控訴と抱き合わせだったので矛盾も感じていたが、完全に裏切られた」と失望の色を隠さない。 在外被爆者に被爆者手帳すら交付しない、という差別的な対応に対して「日韓条約」で被爆者問題を棚上げにされた南朝鮮在住被爆者の怒りはとくに強く72年、孫振斗氏が日本で裁判を起こした。 孫氏は最高裁で勝訴を勝ち取り、在外被爆者にも手帳が交付されるようになったが、厚生省は裁判中に新たな封じ手を打った。74年7月22日、厚生省公衆衛生局長名で日本を出国したら「被爆者としての地位を失う」という通達を日本全国の都道府県知事に下達していたのだ。 この通達の不当性を問うたのが郭貴勲さんである。郭さんは、98年に日本政府などを相手に大阪地裁に提訴。同地裁は「出国によって被爆者の地位を失わせることはできない」という初の判断を示した。同様の判決は昨年12月26日、長崎地裁でも出ている。 抜本対策を 現在、北南朝鮮在住の被爆者は3000人を超える。彼らは日本の植民地支配により、渡日を余儀なくされたすえに被爆した人たちだ。 日本政府は過去清算の一環として朝鮮人被爆者に抜本的な対策を講じるべき問題を半世紀以上も放置し続けてきた。朝鮮人被爆者を援護法の対象とするのは、日本政府が講じるべき最低限の義務だ。 「被爆から56年、なんら人間らしい扱いを受けてこなかった私たちを日本政府はまた裏切った」。12月21日、大阪で記者会見を開いた郭さんは、くやしさと怒りで肩をふるわせていた。(張慧純記者) |