取材ノート

故郷で実感したこと


 先日実施された第5次総聯同胞故郷訪問団に、随行記者として参加した。

 訪問団の参加者たちは半世紀前、朝鮮が日本の植民地だった時期やその直後の混乱期に渡日を余儀なくされた人たちだ。そしてその日から今回まで一度も、故郷の土地を踏んだことはなかった。残してきた家族・親せきとも、会うことはおろか音信不通だった人も少なくない。

 なぜなのか。分断後の北南対立の中で、南の歴代独裁政権は厳しい反共、反北政策を取った。北を支持する総聯の活動に参加する在日同胞も、当然「敵」である。ほとんどの在日同胞が朝鮮半島南部出身であるにもかかわらず、故郷は遠い地となった。

 南に残った家族・親せきも同様だ。日本に総聯活動家、協力者の家族・親せきを持つ者で、当局の監視や迫害を受けなかった人はほとんどいない。

 しかし、総聯同胞故郷訪問団は、6.15共同宣言の合意事項履行の一環として、北南当局間の合意にもとづき昨年から始まった事業だ。参加者たちは堂々と大手を振って里帰りをし、家族・親せきや旧友と会う。つまり、総聯同胞故郷訪問団の里帰りの旅は、半世紀間の双方の「恨」を洗い流すための旅でもある。

 しかし、6.15共同宣言で時代は変わったとは言え、いまだ統一への道の途中。「敵」との接触を禁じた「国家保安法」が撤廃されたわけでもなく、過去の厳しい時代の後遺症は今も残る。取材を断ってきたり、当初は面会すら拒もうとした親せきもいた。

 取材先などで、ふとした弾みで厳しい時代の話が出ることは多かった。いたるところで、そのような過去の傷を感じさせる場面に出くわす。感激の再会、涙の抱擁までの道程がいかに長いものだったか、なぜ1世同胞が半世紀もの間故郷に行けなかったのか――。頭ではわかっていたつもりだったが、初めて実感できたような気がした。(東)

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