第5次総聯同胞故郷訪問団(14〜19日)
在日同胞も統一の主人公
実施から1周年、6.15共同宣言の結実
第5次総聯同胞故郷訪問団(随行員、記者含め71人)が14〜19日、南朝鮮を訪れた。昨年の6.15北南共同宣言に基づき7月末、ソウルで開かれた第1回北南閣僚級会談で合意され、昨年9月に第1次訪問団が実施されてからちょうど1年になる。統一時代を体現する故郷訪問団事業は、在日同胞も民族の主体、統一の主人公であることを示し、統一への道に寄与している。(盧英男、韓東賢記者) 閣僚級会談で合意 北南共同宣言は第3項で、離散家族再会や非転向長期囚問題の解決などの人道問題を早急に解決するとうたった。総聯同胞の故郷訪問はこの履行にあたる。 在日同胞のほとんどは朝鮮半島南部の出身。しかし解放後、北の政府を支持し、総聯に結集した人たちは、南の歴代独裁政権の反共、反北政策によって故郷を訪問することができなかった。このような総聯同胞は、いわゆる離散家族以上に離散家族と言え、その故郷訪問は明らかな人道問題である。 共同宣言を受けて昨年7月末、ソウルで開かれた第1回北南閣僚級会談で北側の全今振団長がこの問題を提案。南側はこれを受け入れ、総聯同胞が訪問団を作り故郷を訪問できるよう協力し、適切な措置を取ることが合意された。 この提案について全団長は会談後、本社記者とのインタビューで、金正日総書記の指示によるものであったと明らかにした。総書記は、ソウルに出発する北側代表団メンバーに対し、総聯同胞の故郷訪問団問題を閣僚級会談の議題として取り上げ、必ず合意に達するよう指示したという。 こうして総聯同胞は自らの信条を曲げることなく堂々と南の故郷を訪れ、長年、生き別れになっていた家族、親せきと会うことが可能になった。昨年9月以来、大韓赤十字社を窓口に今回まで5回実施され、計360人の同胞が参加している。 参加者は、60〜80代の1世同胞が中心で、訪問先は、在日同胞の出身地の割合を反映して慶尚南北道、済州道、全羅南北道が多く、故郷を離れた親せきらが多く住むソウル、釜山、大邱、光州各市などの都市にも訪れている。 ウリマルに驚き 総聯の訪問団に会った南の家族・親せき、関係者の誰もが感嘆するのが団員らが流暢にウリマルを操ることであり、ウリマルに象徴される民族性を総聯が育んできた事実だ。 解放直後からたとえ日本に暮らしても祖国のため、民族のためにたたかってきた1世がウリマルを話せるのは当然のことと思いがちだ。しかし解放前、日本による植民地政策の中でウリマルを奪われていた同胞たちは解放後、自らの運動の中でウリマルを取り戻していったのだ。 そうした解放後の姿を知らずに長年離れ離れになっていた南の家族・親せきたちにとって、半世紀以上日本で暮らしながらウリマルを話す姿が感嘆に値するのも無理ないことだ。 やはり今回、66年ぶりに訪れた故郷で会った甥や姪、旧友たちに驚かれたという朱相根さん(75、東京・江戸川区在住)によると、彼らはこれまでも総聯同胞が故郷訪問団で何度か来ていることを知っていて、「総聯同胞はウリマルがうまいらしい」と噂していたという。 申徳煕さん(70、埼玉・鳩ヶ谷市在住)も総聯の民族教育について話し、子どもたちもウリマルができると教えると、親せきたちは総聯がいいことをしていると感心しきりだったという。 鄭永斗さん(74、東京・東大和市在住)は、親せきや同級生が集まった席で、ケンガリ(民族打楽器の一種)まで叩かされた。朝鮮のリズムで叩けることが分かるとみな驚き、大喜び。総聯が民族文化を大切にし、さまざまな文化活動を行っていることを話すと、みな「それはいいことだ」とうなずいていたという。 時代は変った 南の歴代独裁政権の反共、反北政策のもと、日本にいる家族・親せきが総聯の活動に参加していたために、当局からさまざまな迫害を受けてきた人も南には多い。それが、手紙や電話での接触が可能であるにもかかわらず、半世紀以上も音信不通だった人が少なくない理由だ。 今回も、当初は面会を拒否した親族がいた。しかし、総聯故郷訪問団の経緯、背景、趣旨、性格を説明してやっと理解し、面会が実現した。また面会はしたものの、「総聯の新聞は困る」と取材を拒否した親族もいた。 喜びの故郷訪問、面会の間でも、ふとした会話の中から、そのような過去を引きずる「闇」の部分が頭をもたげてくる瞬間が少なくなかった。しかし南の人から、参加者から、「時代は変わった」という言葉もよく聞いた。6.15共同宣言により、時代は変わったのだ。 総聯同胞故郷訪問団は、歴史的な北南共同宣言が在日同胞にもたらした大きな結実であるとともに、「闇」に苦しめられてきた南の家族・親せきたちにとっても、長年の怨恨を晴らす役割を果たしている。 (関連記事) |