走って、歩いて600キロ

東京−大阪 朝大生・朴性和君が縦断


箱根の芦ノ湖のそばでひと休み

 「箱根の山は天下の剣」と歌われた箱根越えをして、東京から実家のある大阪までの600キロをひたすら走って、歩いて縦断した朝鮮大学校文学部3年の朴性和君(20)。

 20歳の記念に、と盛夏の7月22日から8月4日まで14日間でやり遂げた。さすが旅程の後半は足の甲が痛かったが、後は大丈夫でしたと元気に語った。

 一番苦しかったのが、箱根越え。昔は追いはぎや雲助が出没した場所。夜通し山から山に抜けて、峠をいくつも越えるので、少し怖い気もしたが12時間で踏破。

 ルートは国道1号線から旧東海道へ。かつての江戸と大阪を結ぶ交通の大動脈である。途中、昔の宿場町の面影を残す街道筋でさまざまな人情に触れた。

 「あるおばあちゃんが、朝鮮人参入りの水を飲ませてくれて『精出して最後まで頑張りなさい』と言ってくれた。おにぎりを握ってくれたり、飲み物を買いなさいと1000円を持たせてくれた人もいました」

 野宿をしたのは3日だけ。「温泉の露天風呂に入っていたら、偶然ウリマルが聞こえて振り向くと朝青のヒョンニム。わけを話すと焼肉に連れていってくれた。総聯の支部に泊めてもらったり、ご飯をごちそうになって…。同胞の温かさを実感しました」。

各地で同胞たちの温かさにふれた(写真は名古屋市内で)

 途中、疲れと孤独感に陥ったこともあったが、トンムたちが、いつもメールで「今どの辺?」と、励ましてくれた。大阪でお好み焼きを営むオモニからも、「熱中症にかからんように気ぃつけや」と何度か携帯に電話が入った。

 「でもうちのオモニも酷いんです。心配そうにしている割には、僕が家に帰ったらもぬけの殻でした。その代わり、隣家のおっちゃんが『よう頑張ったな、あんたはうちの町の誇りや』と言って、ジュースをくれました」と笑った。

 初級部2年生の頃にアボジが亡くなり、女手一つで子供3人を育て、民族教育を受けさせてくれたオモニに心配をかけたくなかったが、「今回オモニが誰よりも喜んでくれて、ちょっぴり親孝行ができて良かった」と胸をなで下ろす朴君。しっかり者の妹に「オッパはすごい」から見直されたのもうれしかった。

 青春の1ページに思い出を刻んで、9月14日、2ヵ月間の祖国への勉学の旅に発った。

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