本社記者平壌レポート

89年秋帰国、夢を祖国で/ファン・ドクマン博士


 今年4月、平壌で行われた科学者、技術者に対する学位学職授与式には、30余名の40代、50代の男性たちに混ざって、1人の20代女性科学者がいた。金日成総合大学生物学部研究士ファン・ドクマンさん(現在30歳)。

 セルラーゼおよびその類縁たん白質を新たに12個の族に分類し、これらの立体構造が6種であることを明らかにしたことが評価され、博士の称号を得た。祖国では20代で博士になるのは珍しいことだ。しかも2児の母である。

 実は彼女は東京生まれ。19歳まで民族教育を受け、朝鮮大学校理学部1年のとき(89年秋)、国の科学技術発展に一役かう科学者になる夢を抱いて帰国した。

 ファンさんの兄姉6人は、彼女が幼いときすでに帰国していた。

 80年代後半には帰国する同胞はほとんどいなかった。そんな中で帰国を宣言する彼女は、同級生から変わり者と言われた。が、帰国することに抵抗感はなかったという。「同級生から、日本でも充分に科学技術を学べる、いや科学技術の発達している日本のほうが条件はいいとよくいわれたわ。物質的にも豊かでないこともいわれた。でも、どうしても祖国で自分の夢をかなえたかったの」。

 帰国後、希望どおり金日成総合大学生物学部に入学。そして勉学にはげんだ。まわりは「恐ろしい情熱家」、「火のかたまり」などというあだ名をつけるくらいだった。

 大学の全過程を最優等で卒業。博士院で学ぶことになった。

 結婚、そして出産。でも研究はつづけた。

 「同級生が平壌にきてあったらびっくりするの。2児の母がなぜ研究をつづけられるのかってね。ここは環境が整っているの。週託児所もあって、産前産後に5ヵ月の休暇が保障されているし、なによりまわりのひとたちが気をつかってくれたわ。今は大学内の託児所に子どもをあずけながら研究しているの」

 祖国の社会主義制度にあこがれ帰国したというフアンさん。その制度の恩恵を受けながら夢をつかんだ。

 「博士号が最終目的ではありません。これからもっと研究にはげんで、成果をおさめたい」

 今日もフアンさんは、2人の子どもを連れて大学に出勤している。
【平壌発=姜イルク記者】

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