「チマ・チョゴリ事件に衝撃」「民族教育続けて」
参加者から連帯の握手
国連反人種主義・差別撤廃世界会議
NGOフォーラムに参加して/金静寅(人権協会部長)
絶えぬ民族紛争と人種対立
8月31日から9月8日にかけて、南アフリカ共和国のダーバンで国連反人種主義・差別撤廃世界会議が開催された。 冷戦の終結後、世界各地で民族紛争や人種の対立が顕著になり、最近では旧ユーゴやアフリカ・ルワンダ内戦などが記憶に新しい。そのような民族や人種間の緊張はとりわけ1990年代になって、人種差別、外国人排斥、民族浄化、虐殺という形になって表面化した。最新の科学技術により国境が低くなってきたにも関わらず、依然、人種差別、排外主義が解消されないという国家間、および各国内のさまざまな現実。国連総会はこのような深刻な状況を踏まえ、97年にこの世界会議の開催を決定したのである。 当初は、人種差別の解消における障害の克服、人種差別の予防や撤廃のための教育、被害者の保護や効果的救済など実際的な方策について討議し、各国政府および国際機関が取り組むべき「行動綱領」の採択およびその実現を目指すことを予定していた。 しかしながら、過去400年前にさかのぼる「奴隷貿易」や植民地主義をめぐる謝罪と補償問題で、貧困の克服のためすべての債務の帳消しを要求するアフリカ諸国と欧米の旧植民地宗主国間で議論が対立、それに加えてパレスチナ問題で米国とイスラエルの代表が帰国してしまうなど、激しい政治的対立の場となってしまった。 公安調査庁の原票不当入手も報告 さて、私はこの世界会議に先立ち開催されたNGOフォーラム(8月28日〜9月1日)に参加した。同フォーラムは、世界各国の人権擁護を掲げるNGO(非政府組織)がそれぞれのテーマを持ちより、自らの主張や理念が世界会議に反映されるよう各国の政府代表に働きかけを行う場として開催されたものだ。私は、このフォーラムで行われる「反人種主義世界女性法廷」で、在日朝鮮人女性への民族差別の現状について証言してほしいと招請を受けたのである。 この「法廷」は、国連経済社会理事会と協議資格があり、国連人権委員会などでも活躍している「アジア女性人権評議会」(本部はフィリピン)とチュニジアを中心に北アフリカ地域で活動展開している女性団体「El Taller(エルテラー)」が共同で女性への人権侵害の根絶と差別の克服を目指して、92年からアジアや中東の紛争勃発地域で開催してきたものである。94年には「従軍慰安婦」問題をテーマに東京でも開催された。 「法廷」は8月30日にダーバンのネータルテクニコンという会場で開催され、キューバ、ブラジル、カナダ、ハワイ、マーシャル諸島、ニュージーランド、フィリピン、インド、アフガニスタン、ボスニア、ルーマニア、パレスチナ、米国、そしてアフリカ諸国などから40人の証言者が集まった。 貧困と飢餓、米国の核実験による放射能汚染、欧米の移植民による先住民の土地の略奪、多国籍企業による環境破壊、軍事基地と女性の人権侵害、米国の経済封鎖がもたらした人権侵害、民族解放闘争と女性の人権など、それぞれに深刻なテーマが取り上げられ、直接の被害者や女性活動家による積極的な証言・報告がなされた。 私はまず、在日同胞の歴史的背景に触れながら、私たちが日本社会で直面している各種の差別、昨今の歴史教科書問題や公安調査庁による外国人登録原票不当入手事件について証言した。またチマ・チョゴリ事件に象徴される日本社会の根強い民族差別についても言及し、過去の清算がなされないままに植民地支配の被害者の子孫らに対し、依然植民地主義が強要されていることをアピールした。 証言の後、「こんな問題が日本にあったとは知らなかった」とたくさんの参加者から握手を求められた。 マーシャル諸島出身の女性はかつての日本の委任統治下時に日本式の名前を強要され、その後の米国の信託統治下ではさらに米国式の名前を強要された経験を、カースト制度の撤廃を訴えたインドの女性は、チマ・チョゴリ事件に衝撃を受けたと語りながら、「それでも子どもには民族教育を受けさせ、朝鮮人として育てるよう」激励してくれた。 地元紙が写真入りで紹介 正直言って、私の前にあまりにも深刻な内容の証言が続いたので、私の発言などさほどインパクトがないのでは、と思ったのだが、多くの女性らが共鳴をしてくれた。 また、翌日の地元紙マーキュリーの朝刊には顔写真入りで私の発言が掲載されるなど、意外にも大きな反響があり、本当に驚いてしまった。学生の頃から国際人権の保障を勉強してきながらも、あらためて人権に軽重などないということを思い知らされた。 同フォーラムの参加登録者は、2万4000人とも言われた。膨大な数の参加者に加えて、ダーバンで3週間以上も継続していた労働ストライキ、それによる交通機関のマヒ、そしてコリアンタイムをはるかに上回るアフリカンタイム。どこに行っても現場が混乱しており、1、2時間待つのは当たり前で、それでも誰も文句も言わない。 また待機している間にはいつも自然発生的に3重、4重の大合唱や民族ダンスがはじまり、行きがかり上私も一緒に歌ったり踊らざるをえず、エネルギッシュなアフリカの人々に圧倒されっぱなしの1週間であった。南アフリカの多くの女性活動家からアパルト 世界会議での朝鮮民主主義人民共和国政府代表の演説も大変すばらしく、満場の拍手喝采を浴びたという。私の発言もわずかながら反響もあったようだし、このたびの世界会議とNGOフォーラムは私たちにとって、大いに成果があったと私なりに自負している。(在日本朝鮮人人権協会部長) |