春・夏・秋・冬

 8日、50周年を迎えた「サンフランシスコ平和条約」。日本が米国によって独立させてもらった日である。日本はこの日を境に、永遠に米国に足を向けて寝られなくなってしまった。そして、お返しではないだろうが、日米安全保障条約にも調印。米同盟国の一員として冷戦に参画し、沖縄を「切り売り」してしまった

▼この条約に調印した吉田元首相の直系、宮沢元首相は米国での50周年シンポで、日本の自衛に限った集団的自衛権の部分行使を提言した。「21世紀への遺言」だというが、「自衛隊がカリフォルニア沖まで行くことはない」との認識が下敷きになっているとも

▼ところで軍隊というものは、戦うことを目的にして存在する。戦いには自衛も侵略も、個別も集団もない。敵がいなければ「ならず者国家」を作ってでも存在しようとする(米国の軍事評論家、マイケル・クレア)

▼実際、米日海軍は個別と称した事実上の共同演習で、冷戦が激しくなった70年代半ば以降、共通の「戦闘マニュアル」を使ってきた。自衛隊がカリフォルニア沖にいつでも出動出来るようにだ。それは逆にいえば、自衛隊が米軍と共に朝鮮半島に出兵していくことをも意味する

▼戦域は一つであって、切り離すことは出来ない。ましてや海上のどこかに線を引くこともできない。千基を越え、その弾頭に至っては一基につき最高14発も積載できる核ミサイルを配備しながら、朝鮮のミサイル脅威を叫んで防衛網構築を正当化する米国。こうした現実を踏まえない安全保障論議はまやかしである。(彦)

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