ウリ民族の姓氏−その由来と現在(3)

檀君朝鮮時代にすでに使用

起源と変遷(1)

朴春日


 朝鮮民族固有の姓氏の起源とその変遷は、きわめて長い歴史と伝統に彩られている。

 ではまず、その起源であるが、この点について先に指摘しておかなければならないのは、軍国日本当時の、いわゆる「朝鮮姓氏不在論」の問題である。

 たとえば日本のある論者は、「朝鮮には従来男系の血統を表示する姓はなかった。家を表す氏もなかった。そして儒教の影響で男系の血統とその血統団体を社会構成の基本としていた」(鈴木武雄「朝鮮統治の性格と実績」)などと力説した。

 もちろん、これを暴論として黙殺するのはやさしい。しかし問題なのは、今日に至っても日本では、この種の曲論と大同小異の主張がまかり通っている事実である。

 たとえばある文筆家は、「朝鮮の姓は、新羅の中ごろから唐にならってつけはじめた……。それまでは、中国から移ってきたもののほかは、姓がなかったのである」(木澤政直「鶏林」)と述べている。

 また、このような見解が災いしてか、同胞文筆家の中にも、「朝鮮人の姓氏は、三国時代に中国文化の影響により、中国式の姓を使用しはじめたのが起こりである。それ以前は姓というものがなく、名前だけで呼んでいた」などと書く例があった。まさに何をかいわんや、である。

 さて本題に入って、わが国の最近の歴史学研究によれば、朝鮮の姓氏は、いまから5000年前に創建された最初の民族国家―すなわち檀君朝鮮時代にすでに使用されていたことが明らかとなった。

 もちろん、最初に姓氏を用いたのは王族をはじめとする貴族階級であるが、ここではまず始祖王・檀君王倹の王名から考えてみることにしよう。

 古典史料によれば、古朝鮮の人びとは檀君王倹のことを朝鮮語で「パクタル(박달)・イムグム(임금)」と呼んだが、「パクタル」とは「明るい山」、「イムグム」は「王君」のことで、これは平壌地方に最初の国家を樹立した種族名であったという。

 それはこの種族が太陽信仰、つまり太陽を燃える火の塊と見て「プル(부루)」と呼び、それに居住地の太白山を指す「タラ(다라)」を加えて「プルタラ」と称し、やがてこれが「パクタル」へ変化したと見られる。

 これらの朝鮮語は、最近の研究で明らかになった檀君朝鮮時代の民族固有の文字―「神誌(シンジ)文字」によって表記されていたに違いない。

 また漢字による「檀君王倹」という表記は、「パクタル」という言葉が「まゆみ」の木をも意味するところから、後世の漢字伝播(ぱ)によって「檀」の字があてられ、「イムグム」には「君」の字があてられたわけである。

 王倹(ワンゴム)も王君の意である。

 こうして、「パクタル・イムグム」は古朝鮮の統治者を指す特定の尊称となり、やがて始祖王・檀君王倹を指す固有名詞となったわけである。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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