私たちのうた
つつじ −春の先駆者をうたう−
朴八陽
私につつじのうたをうたえというのですか この貧しい詩人にあのさびしくも弱々しい花を 早春の山々にうわさもなく咲き 一晩の風雨にむなしく散る花を どのようにうたえというのですか? うたうにはあまりにも悲しい事実です 百日草のように赤く赤く咲くことのできない花を 菊の花のように永く永く咲くことのできない花を うたうならばいっそ手にとって泣き出したい 友もすでにあの花を見たことでしょう 華麗な花々が咲く前に 風雨吹き荒れる山にぽつりと咲いている 春の先駆者、薄桃色のつつじを見たことでしょう つつじは春の先駆者 彼女は春の便りを伝える予言者 春のすがたをまっさきに描く先駆者 風に吹かれあの薄いはなびらがむなしく散っていくのは 先駆者の不幸な受難なのです なぜこの貧しい詩人が このようにあの花を手につかんで泣くのかわかりますか それはわが先駆者たちの受難のさまが 余りにも多く私の脳裏に焼きついているからです うたうにはあまりにも悲しい事実です 百日草のように赤く赤く咲くことのできない花を 菊の花のように永く永く咲くことのできない花を 激しい風雨にさらされ散ってしまうかわいそうな花を うたうならばいっそ手にとって泣き出したい けれどつつじは 近づく春のすがたを頭に浮かべながら 冷たい風行き交う山すそで むしろ笑って言うことでしょう 「永く永く咲くのが花ではなく 春の訪れを先に知るのが本当の花なのだ」と― (1930年) |