ウリ民族の姓氏−その由来と現在(1)
はじめに
アイデンティティーそのもの
朴春日
「朝鮮の姓氏」といえば、在日同胞の若い人たちは、まず何を思い浮かべるであろうか。
たぶん、自分自身の姓氏と本貫(ポングヮン、始祖の出身地)のこと、次に母方の姓氏と本貫のこと、そして結婚していれば妻、あるいは夫とその親族たちのそれらを思い出すであろう。 また幸いにも、自分の家に「族譜」(チョクポ、系図)が伝わっていれば、始祖の姓名と本貫はもちろん、その子孫の名と親族関係、そして自分の代数などは一目瞭(りょう)然である。 しかし、かつて軍国日本の過酷な植民地支配を受け、徴兵・徴用などで強制連行された在日同胞の大半は、その「族譜」が手元にないか、あるいは古い「戸籍謄本」の類しか持たないケースが多い。 したがって、そうした場合には、できるだけ祖父母や両親、また親せき筋の老人から昔話を聞き、先祖の系譜をたどって記録しておく必要があろう。もっとも、それをすでに終えた人は多いに違いないが。 ところが、中にはそれを「時代遅れ」だと考え、その必要性を感じない人がいるかもしれない。しかし、それではやがて「根無し草」同様の存在になって、結局「在日」のはざまで漂流≠キるしかなくなるであろう。 なぜなら元来、朝鮮民族にとっての姓氏と「族譜」は自分自身の貴重なルーツ、すなわち自分と同じ血統および一族との関わりを示す唯一の表徴であり、まさにアイデンティティーそのものだからである。 それゆえ、わが国の祖先はつねに、己の「姓氏は生命」とみなしてきた。そしていかなる理由があろうとも、絶対に姓氏を変えたり、捨てたりしなかったのである。 ◆ ◆ かつて、わが国には俗にいう「3大悪口」なるものがあったが、そのうち「姓氏を変える奴」と「族譜と祭祀(チェサ)を絶やす奴」が唾棄(だき)すべき輩として痛罵(ば)されたのは、そうした気高い民族的伝統が息づいていたからであった。 こんな挿話がある。ある外国の旅行者が南朝鮮の農村を訪ねたとき、予期せぬ火事騒動に出遭った。それを見ていると、その家の主人らしい農夫が必死になって炎の中へ飛び込み、書類のようなものを持ち出してきた。結局、家屋と家財は全焼してしまったが、農夫はその書類をひしと抱きしめ、泣いて喜んでいたという。 不思議に思った旅行者がそのわけを聞くと、農夫が持ち出したのは「族譜」であったが、外国人には彼の危険な行為の意味が、どうしても理解できなかったという。 このように古来、わが朝鮮民族は自己の姓氏と「族譜」を唯一無二の生命とみなし、それを家宝のように守って誇り高く生きてきたのである。 こうした事実は何よりも、朝鮮民族の姓氏に対する伝統的な考え方と、欧米や日本のそれとが大きく異なることを物語っていよう。(パク・チュンイル、歴史評論家) |