朴徳貴の夏休み

練習漬けの毎日いやしは母との語らい


札幌の自宅でくつろぐ徳貴とオモニの卞和順さん


 強い。圧倒的に強い、と言われた重量挙げの朴徳貴(19)。北海道朝高時代、インターハイで連覇、全国高校選抜でも優勝。現在は早大に進学、学業にいそしみ、練習漬けの毎日だ。「祖国の五輪代表」の夢に向って歩むひたむきな青春。そんな息子を温かく見守る卞和順さん(43)の話を聞いた。

 朝高を卒業して、東京で暮らす徳貴に、今はプライベートタイムはほとんどない。早大の人間科学部がある所沢と練習場のある高田馬場キャンパスを往復しながら、練習に汗を流す日々。友だちと会ったりする暇も今のところない。

 夏休みに一時帰省した徳貴に卞さんが声をかける。「親のありがたみが、離れてみてよく分かったでしょう」。それもそのはず「徳貴が上京してからは、ゴミも洗濯も半分になりました」。オモニにとって徳貴の存在の大きさが分かる一言だ。卞さんは徳貴が重量挙げを始めて以来、家を離れたことがない。「この競技は体づくり、つまり、食べることが基本。365日、この子の食事作りに追われました。ただ同じ日常を繰り返す、これが大切なことでしょうか」と話す。それが、徳貴が上京してからは「拍子抜けするほど楽になって…」と苦笑する。

 徳貴のベスト体重は105〜10キログラム程。伸長も182センチほどある。朝高時代、試合の前はこの体重を維持するのに神経を使った。「高タンパク質のものを食べさせて、何回にも分けて食事する。朝ご飯にとんかつや刺身、肉類も。おにぎりを持たせて、授業の合間にまた御飯。夜は焼き肉、夜食…。息抜く間もありません」。しかも、「競技が競技だけに、いつも腰や手首にけがをして、整形病院通いが続いた。この子の食事と健康に気を使った分、下の息子には構ってやれなかった」とオモニ。

 しかし、普段の生活は 「何にも心配したことはなかった」。負けん気が強く、自立心もおう盛、試合前に緊張することもなかった。

 「高一のインターハイで勝てなかった時が試練の時だった。周囲の期待に応えられなかったという自責の念。悔しさ。本人が落ち込み、家中暗くなって、私も涙が止まらなかった。そんな時、アボジに『いつまでもクヨクヨしていても仕方がない。来年があるから前向きに頑張れ』と一喝されて立ち直った」とオモニ。この挫折の後、精神的にも強くなって、練習にいっそう励むようになり、記録が一気にのびていった。そして、アボジの予想通り、翌春の全国高校選抜、夏のインターハイに優勝。朝高に史上初めて金メダルをもたらしたのだった。

 卞さんはしみじみ語る。

 「親として何かをした、ということはないです。監督、コーチはじめ徳貴を指導して下さった人たちのお陰です。そして、試合の度に徳貴は各地のハッキョのオモニたちに励まされ、御飯もよくご馳走になった。民族教育のこの広い裾野、深い愛情の中で徳貴の力が発揮できたのだと思います」

 徳貴は夏休みの後半には、士別市での合宿に合流し、そのまま帰京した。オモニの手料理に舌鼓をうち、おしゃべりしてくつろいだ束の間の夏休み。「オモニとはよく話します。何で楽しいのかな。僕が老けているのか、オモニが若いのか、それが問題だ」と徳貴。愛情あふれる家庭の姿がそこにあった。(粉)

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