地名考−故郷の自然と伝統文化

執筆を終えて

心の中でつねに生きているもの
うれしかった読者からの便り

司空俊


 今年1月から連載してきた「地名考―故郷の自然と伝統文化」の執筆が、20日付の江原道で終わった。この間、数多くの反響が寄せられた。そして、故郷は人々の心の中でつねに生きているものだと痛感した。とくに、在日同胞にとっては。

 それは、1世でも、2世でも、3、4世でも世代には関係がないようだ。私たちにとっては、故郷とは祖国そのものなのである。「祖」という字は「示」(指し示す、いく道を導く)と「且」(かつ、また、重ねる)からなっている。つまり、「祖」とは民族が、先祖が、長い歴史を生き抜き、生命ばかりでなく、文化、価値観、人生観、隣人愛などあらゆるもののすべてを積み重ねてきたということだ。

 その「祖」の「国」が「祖国」なのである。民族を育んできた「祖」の「国」である「祖国」そのものが、私たちにとっては「故郷、郷里」なのである。

 それゆえに同胞読者からは励まされたり、要望されたりした。うれしかったことは3つばかりあった。読者からのメッセージ、手紙が途絶えていた旧友からの懐かしかった便り、もっと歴史的なことが知りたいという要望などである。

 心残りだったことは印刷ミスがあったこと、地方別の連載終了後に「自分の故郷」が記載されていないと言われたことだ。

 つらかったのは、行政区域の統廃合があり、「故郷」がなくなってしまった同胞に、その旨電話で知らせた時のことなどである。こうした問題を適切に処理できただろうか。いたらぬ点があったかもしれない。紙面をお借りしてお詫びしたい。

◇                          ◇

 今回の連載は「地名考」というタイトルで「自然と伝統文化」に重きを置いて書かせていただいた。そのため、歴史的な面はおのずと制限された。次は第2弾として、「故郷の歴史」について、機会を見て改めて書きたいと思っている。そうして、読者のみなさんとともに、1世である筆者も「故郷」を訪れることのできる日が一日も早く来るよう願っている。

 静岡県の同胞が教えてくれたように、忠清南道天原郡並川面には「柳寛順記念祠堂」(史跡230号)がある。ぜひ訪れてみたい。

 北九州の旧友からは定年になったと便りをいただいた。彼とは昔を回顧しながら歴史散策もしてみたい。

 侵略者に立ち向かった古戦地には兵庫県の歴史研究家と歩いてみたい。感想をメールで送ってくれた青年とは未来を語り合ってみたい。過ぎし日と今日をしっかり見つめれば、おのずと未来は見えてくるものだから…。

 酒をくみ交わしたいと連絡してくれた埼玉県の同胞。その日が来ることを願っている。

 連絡をいただいたにもかかわらず、紙面の都合上、紹介できなかった「南の故郷」を持つ方々には、何と申し上げたらよいのか。

 民謡を歌っていただいた方々の中には、人によって歌詞がいくらか異なっていたことが少なくなかった。その時解説していただいた方々には本当に感謝したい。

 方言を集録するのもまた大変だった。もっとも特徴的なものを指定するのが難しかったからだ。この分野は今後、専門家の方々にお任せしたい。

◇                          ◇

 故郷は私たちのすぐ傍らにあるもの。祖国を離れて、民族の幸福はあり得ない。喜びも苦しみも、祖国とともに、民族とともにあるものだ。人間は、祖先が持つ原初の感覚を追い求めて生きるものである。

 今回の連載を通じて痛切に感じた筆者の感想である。長い間、ご愛読いただいた朝鮮新報の読者に心から感謝したい。

 なお、編集部では当初、30回程度の連載を考えていたようだが、始めてみると、読者からのメッセージ、電話などをいただき、60回ほどに延びてしまった。便宜をはかってくれた編集部にお礼を申し上げたい。
(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)=おわり

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事