地名考−故郷の自然と伝統文化

江原道−(3)民謡

2つあるアリラン

司空俊

旌善の水車 旌善静岩寺

 江原道には2つのアリランがある。その1つが「江原道アリラン」である。歌詞に興味を覚える人が多いと言われる。

 トウゴマの花よ、ツバキの花よ  開いてはならぬ(咲いてはならぬ)/(花が咲けば)向かいの生娘が浮かれ出す/山の宝は山ブドウとサルナシ/人の宝は恋しい人/咲けよと願う豆畑の花は咲かなくて/トウゴマ、ツバキの花はなぜ咲くのか

 このアリランの歌は柊栢(トンベク=椿のこと。冬伯とも書く)を主題にして二節歌われている。トウゴマはヒマのことで油が搾れる。

 もう1つは「旌善(チョンソン)アリラン」である。

 旌善の水車は  いつも水を抱き/ぐるぐる回るのに/幼い夫は私を抱きしめて  回ることを知らない

 この歌は音律なしに続く、裏哀しい哀調を帯びた歌である。このアリランは20歳の新婦が10歳の新郎を迎えた悩みをうたったものと伝えられる。もしかしたら新婦は水車がぐるぐる回るのに拍子を合わせてアリランを歌ったかもしれない。古い時代の歌である。

 江原道の民謡に「ハン五百年」がある。ハンは冠詞の場合は数の前につくと「大体」「およそ」という意をあらわす。接頭詞の場合には名詞の前につくと「ひとつ」「満ち足りた」という意味になる。この場合には、ひとつとか、ほんのとか、まさしくとか、(精)一杯とかいう意味である。あるいは、同じ心、1つに結びついた心、専心一意とも解釈されようか。500年というのは「いついつまでもむつまじく、仲良く暮らしましょう」ということであろう。

 次のような歌詞だ。

 白砂場(砂原)に  七星台を飾り/愛する人  あらわれるように  祈りを捧げましょう

 (繰り返し)それもそう  そうだとも/(五百年も一緒に暮らそうというのに  どうしてそんなに成火なのか)いつまでもむつまじく  暮らそうというのに  どうしてこう  焦るのか/恨み多き  この浮世よ、冷情なる世よ/同情心なしに  生きてゆけようか/花のような青春も  いつしか  老け/残った半生  誰に頼ろうか/青い空高く  ヒバリは  さえずるが/うら若き乙女の心  誰ぞ知るや

 どこかしらアリラン調の民謡である。500年も「いついつまでも」一緒に暮らしましょうという繰り返しのところがおもしろい。

 七星台は七星壇のことで七元星君をまつる台のこと。ここでは七夕の時、牽(けん)牛星と織女星が1年に1回の逢瀬をするのにかけたもの、成火は気があせるという意味である。

 そのほかに「水車打令」がある。4分の3拍子の民謡。水車打令には長唄、自進歌(1人でうたう歌、自らうたう歌)もある。

 これらの歌は新羅時代にすでにあった。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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