春・夏・秋・冬 |
6年前の夏、平壌に滞在していた時、インターハイ出場に向けて祖国で合宿していた東京、大阪、神戸3校の朝高選手を取材した。祖国の選手との練習試合では、つねに梁学哲・大阪朝高監督の怒声が飛んでいた。「鬼のように思えた」梁先生だったが、生徒たちからは絶大な信頼を寄せられていた。普段は文学を愛し、詩をそらんじる先生。怒声も「愛のムチ」だということを、生徒たちが一番よく知っていた
▼その梁監督が、インターハイ(熊本)ボクシング競技で、初の朝高チャンピオンが誕生した瞬間、泣きじゃくった。教え子の崔日領選手(75キロ級)が決勝戦で相手選手を判定で下し、見事金メダルを獲得した。4―1の圧倒的勝利だった ▼8年前、朝鮮学校の「全国」大会出場への道が開かれてから、ボクシングでは毎年選手たちを送り込んできた。これまで銀2、銅5を獲得したが、もう一歩という所で涙をのんできた。それだけに、関係者のうれしさはひとしおだったろう ▼崔選手が今回、判定で相手を下したことも大きな意義を持つ。というのも、この判定をめぐって「泣かされたこともあった」(梁監督)からだ。98年には、その年3月のボクシング選抜で優勝した朝高選手が、3回戦でまさかの判定負けを喫したことがある。会場の誰もが朝高選手の勝利を疑わなかったにもかかわらずだ ▼当時、梁監督は本紙に「選手の胸に輝く心の金メダル」と題した手記を寄せている。そんな先輩たちの悔しさをバネに、見事朝高の名を轟かせた崔選手に、改めて拍手を送りたい。(聖) |