地名考−故郷の自然と伝統文化

江原道(南)−(2)春川、原州、江陵など

水郷、文郷、兵馬の都市

司空俊

鏡浦台の日の出 船橋荘

 春川(チュンチョン)は 江原道の道庁所在地である。櫛目文土器が発見されていることから、古い時代から1つの生活圏を形成していたことがわかる。三方が川と湖に囲まれた水郷、湖畔都市である。北漢江をせき止めた衣岩(イアム)湖(1967年竣工)、春川ダム(62年)、昭陽(ソヤン)江をせき止めた昭陽多目的ダム(73年)など、ソウル方面に飲料水と電気を送っている。

 山間盆地。山越えするため「泣いて来て、泣いて帰る」といわれるほどの交通の難所であった。ソバ冷麺が有名。

 原州(ウォンジュ)は嶺東の関門都市で、交通の要衝。辰韓の発祥地、新羅が弱体化するとき、梁吉、弓裔、甄萱(キョンフォン)と王建が争った地でもある。北原(プクウォン)、平原(ピョンウォン)などと呼ばれていた。原州の地名は940年(太祖23年)につけられた。

 兵馬の産地としても知られ、土地の人々は、春川は水郷、江陵(カンルン)は文郷(風流)、原州は軍都(兵馬)と呼んだ。現在は「軍司令部」が置かれる軍事都市で、ひと頃は軍の劇場まであった。

 江陵は東海岸の中心都市の1つ。16世紀の儒学者李珥(リイ、号栗谷=リュルコク)の出身地である。生家が烏竹軒(オジュクホン)、栗谷の母は女流画家の申師任堂(シンサイムダン)。

 江原道の文化財の90%が江陵にあることから地元の人々は、ここが嶺東文化の中心地であると自負している。

 ここは関東八景のひとつ、鏡浦台(キョンポデ)で知られる。鏡のような静かな鏡浦と松林は古来から賞でられてきた。

 観光地としては鏡浦台、大関嶺(テグァンリョン、スキー場)、小金剛、烏竹軒(李珥の生家)、客舎門(高麗時代の官吏の宿舎門)、郷校大成殿(李朝初期の建築物)、船橋莊(両班の住まい)がある。連なる峰々が5枚の蓮の葉のような形をしていることから、その名がついた五台(オデ)山(1,563メートル)がある。

 この地方には、大関嶺の「神」を迎える江陵端祭がある。嶺東に位置する江陵地方の人々にとって大関嶺は嶺西地方への玄関口にあたる。ここに「国師城隍(クッサソンファン)」(城隍神は城や村を守るという神、氏神)や「山神」がまつられているのである。旧暦5月3日から5日間は、人口24万人の都市に10万人の観光客が訪れる。

 襄陽(ヤンヤン)は雪岳(ソラク)山、洛山(ラクサン)寺で知られる。

 大青(テチョン)峰(1,708メートル)を主峰とする花崗岩は奇岩奇峰を形成し、大自然の雄大な姿をみせてくれる。滝と渓谷、点在する古刹、春は高山植物と新緑、夏は濃緑、秋は紅葉、冬は白銀と、四季折々装いを変える山岳美は登山客の心を捕らえて離さない。

 穏やかな気候にめぐまれ、蜂蜜、マツタケが採れる。鮎も有名だ。伝説の五色木(五色の木が育つとされる)、水の色が5つにみえるという「五色薬水」なども有名。

 三陟(サムチョク)は石炭の街である。竹西楼(チュクソル)は1275年に建立、三陟の南を流れる五十川の北岸の岩上にそそり建ち、楼閣には「関東第一楼」とある。関東八景の1つ。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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