どこまで進む?日本の右傾化

居心地悪い社会まず声を


二人の話は3時間にもおよんだ


21歳学生対談

 日本の右傾化は目に見えて進んでいくばかり。

 21世紀を担う若者はこの状況を見て何を思うのか。

 石原慎太郎都知事の「三国人」発言、森喜朗前総理の「神の国」発言、「新しい歴史教科書をつくる会」教科書の検定合格、そして小泉首相の靖国神社公式参拝問題…。アジア諸外国はもちろん欧米からも厳しい批判が相次ぐ日本。

 21歳の明治学院大学鄭栄桓さんと早稲田大学淡路智典さんに話し合ってもらった。(取材・構成 金香清記者)

チョン ヨンファン

1980年生まれ。

明治学院大学法学部3年生。東京朝高卒。留学同東京渋世支部委員長。

淡路−情報量だけなら強者が勝つ
鄭−言葉を放棄したら暴力しか

 :同志社大学の浅野健一教授の話で、小林よしのりの影響をもろに受けている学生が結構いるという事を聞いた。僕の学校にいる「つくる会」教科書賛成派の学生と話した時、彼は教科書の内容がどうこうより南朝鮮、中国政府はこの問題にヒステリックだとか、うちの国のことなのに言いすぎじゃないかとか、そういう論理で僕を責めてきた。淡路君の周りにはそういう人いる?

 淡路:僕の友達はある意味かわったのが多いから(笑)。あんまりそういう人はいないな…。前から歴史に興味があって勉強している友達は「つくる会」教科書に対して、まったくおかしいって言っている。真面目に歴史を勉強している人にはこの教科書のおかしさは瞬時に分かると思う。一例をあげれば、3〜5世紀ころに日本という国民意識ができあがっていたような言い方。その頃はまだ「日本」という概念は成立していなかったでしょう。「日本」という国家意識が多少なりとも生まれてきたのは明治時代だと思う。単純に考えても縄張り争いであれだけ戦っていた戦国時代に1つの「日本」という意識があるはずないしね。

 :「つくる会」支持者の論調は、若い人達が往々にして感じる大人や権威に対する不満とかを、逆手に取るうまいやり方だと思う。「我々は学問的権威から自由なんですよ。何ものにも縛られていないですよ」という感じで学会筋を批判しつつ、本当は保守的なのに革新的なスタイルをみせる。それで若い人たちの反権威、反保守みたいな気分にスッと入っていく。

 反面、「つくる会」反対派には堅苦しいイメージが定着していると思う。でも賛成派は内容が正しいとか間違っているとか、関係ないから若者は短絡的に受け入れてしまう。

 淡路:ロゴス的なものよりパトス的なものに訴える。

 :そうそう。そして理論のすり替えもうまいよね。日本軍に「従軍慰安婦」を強制させられていたハルモニが初めて生々しい体験を証言した。ふつうならなぜ40年間も沈黙してきたのか?  そうさせた社会の責任を問う。なのに「お金が欲しくて名乗った」「裏で左翼からお金もらっている」とかいうとんでもないすり替えをする。これこそ生き残った証人を再び沈黙させようとする卑劣な攻撃だ。

 淡路:情報量だけなら力の強い方が勝ってしまう。南京大虐殺とか、「従軍慰安婦」問題とか、証人の出現と証拠資料の発見によって立証されている。でも否定派が「なかった」と何度も繰り返すことによって、みんなある程度信じるようになる。

 :留学同のトンム達と「つくる会」を応援する人たちの集会に行って、参加者に抗議ビラを配った。ビラをクシャクシャにして捨てられてしまう事もあった。ある人なんかすごい剣幕で怒って「お前ら日本に住んでいる外国人が一番金もっているくせに」って。差別心がストレートすぎて逆に新鮮だったかも(笑)。

 「私達はこの土地とつながっていて、少し前に来た朝鮮人には分からない」。という風なんだよね。言葉では分からないという溝を作って絶対立ち入らせない。でも言葉を放棄したら殴り合い、殺し合いしか残らないと思う。

 淡路:「血と大地の神話」の日本版みたいなものでしょう。異端排除の思想=浄化の論理が支配している。まるであるべき「日本人」を措定したような言い方をする。それは沖縄の人、アイヌの人、在日外国人などを排除していって、残った人を「日本人」とする。その「日本人」の中からも「日の丸」「君が代」に敬意を示すとか、示さないとかによって、取捨選別される。最終的には、その中に居る人間のみが居心地良い「純粋な日本人」の共同体を作ろうとしているような感じがする。

 僕はそんなの居心地いいと思えない。

 :中心に「純粋な日本人」という「キラキラ輝くもの」があって、その周辺に外国人とか異民族がいるような。

 淡路:もともと「日本人」といったって氷河期に大陸から渡ってきたのだし、その後だって縄文時代からいた縄文人に、弥生時代になると大陸から弥生人が入ってきたわけだし、日本人の単一性なんて、これだけをみてもフィクションだってわかるでしょ。

 :でも、その論理って向こう側には一切通用しないんだよね。もう、論理対立というより力と力の対立=社会運動の対立みたいになっている。

 淡路:事実や理論がどうであろうと「これが正しい」と決めつけて思考停止してしまえば楽だからね。

 逆に右傾化に反対する側も思考停止に陥るときがある。所沢高校在学中に「日の丸・君が代」強制を明確に反対しない学生は、自治とか権利問題とかにうとい学生だという決めつけが一部あったような気がする。「強制に反対しないといけない」という新しい抑圧が生まれてしまった。

 もちろん強制には反対すべきなのだけど、声をあげられない人を排除するのは間違っていると思う。こういう抑圧が生まれるのを避けるためには「何を守るためにたたかっているのか」という原点を忘れてしまったら、いけないと思う。

淡路−弱いことは悪いことなの?
鄭−論理が一切通用しない相手

 :聞いた話なんだけど、留学同のメンバーの中に学校でどうしても本名宣言できないトンムがいた。そのトンムが居られない雰囲気が同盟内部でできてしまって、結局は出ていってしまった。

 本名を名乗れないという事は、社会的な場面で自分を朝鮮人として開いていないということだから、やっぱり本名宣言は大事。でもそれをどうしてもできないというトンムがいたとして、結果的に居られなくなるのはおかしいと思うし。なんかすごいジレンマ。

 淡路:弱いことは、悪いことなのかな?  不正に対しては闘わなくてはいけない。それと同時に闘えない人、声をあげられない人の事も常に考えていくべきだと思う。

 それにしても日本の今の状況を見ていると明るい気持ちになれない。何か少しずつ居心地の悪い社会になってきているなって感じがする。一体僕たちを何が抑圧しているのかよくわからない。辺見庸の言葉を借りるなら「ぬえのような全体主義」。

 :自分の身近なことでその「居心地の悪さ」を感じることある?

 淡路:今、早稲田大学では学生の自主活動に対する締めつけが半端じゃない。まず、96年、総長が変わって、学園祭がなくなった。以前、学園祭復活の署名が、1万1000人分も集まったにも関わらず、認められなかった。同好会で使う部屋はすごく狭い。要は学生は集まって会議するなってこと。学生自治活動や、サークル活動をやらせたくないのだと思う。

 それだけじゃない。講義室は1限ごと鍵を閉めてしまう。たまたま開いていたりして、学生が中にいると警備員が飛んでくる。新しくできた校舎は敷地がかなり広いのに、ベンチがすごく少ない。もう「学生は群れるな」って感じなんだよね。

 :僕の学校は校舎が学年別になっている。ある学年は東京、ある学年は神奈川というふうに。新入生のサークルなどの勧誘がしにくくなった。朝文研(留学同)勧誘の大きな痛手。学年別キャンパスは文部科学省の推進によって日本各地で進められているみたいだね。

 淡路:学生の権利なんていうのは、今の大学の当局者にとってはどうでもいいことになっている。所沢高校の前の校長じゃないけど、学生を話し合う対象に考えていない。

 :東京学芸大学の在日朝鮮学生が入寮拒否をされたことがあった。事務所の人が「在日朝鮮人」がどういう存在なのか全然わかっていなかったみたいで、とにかく「前例がないので」と一蹴されたことがあった。結局色々かけあって「特別枠」という形で入寮できたけど。

淡路−おかしい事はおかしいと
鄭−1世の記憶の継承を大切に

 淡路:朝鮮人に対する差別はなくなっていないのだけど、よく見えなくなっている。今の「良心的な日本人」たちは「いまじゃ、みんな同じですよね」という。そういう人たちには 
どこに切りこんでいけば差別意識を崩せるのか難しい。

 :僕はこのまま右傾化が進んでしまったら、また朝鮮学校の学生たちに被害が出るかもしれないとすごく心配している。1998年、北の人工衛星発射の時のように。

 淡路:いわゆる「テポドン」の一件も日本のマスコミはうさんくさかったよね。結局は日米ガイドラインを通すために利用されるような形になったし。

 :これから留学同を通して今日話し合ったような日本の一連の「右傾化」問題について勉強会をたくさん開きたいと思う。特に「教科書」問題は力をいれたい。これからあの「つくる会」教科書を使って勉強する在日学生が出てくると思うと、いてもたってもいられない。

 自分自身が何者なのか知らない在日同胞はたくさんいる。自分の権利が侵害されていることに気づかない在日同胞が増えるのは怖いこと。危機感を伝えたい。植民地支配化で弾圧を受け、渡日後も民族性を守り通した1世の記憶を語り継いでいくことを大事にしていきたい。

 淡路:おかしいことはおかしいと言い続けようと思う。難しいこともたくさんあるけど。意見を言うのは「ダルイ」で済ませてしまったら何も変わらないし、気づいた人がその都度、声をあげるべきだし、自分はそうしていこうと思う。とにかくいろんな事に思考停止に陥らないようにしたい。誰かが言わないなら自分が言おうと思う。

あわじ とものり

1980年生まれ。

早稲田大学社会学部2年生。元埼玉県立所沢高校(※)生徒会長。著書に「所沢高校の730日」

 ※所沢高校問題―97年、同高校に着任した校長が「日の丸・君が代」を強行しようと試み、生徒側が反発。その後生徒と校長の対立は続き、校長主催の「日の丸・君が代」を実施する卒業式、入学式と生徒主催の「卒業記念祭」、「入学を祝う会」と分裂開催された。98年10月生徒、卒業生が日弁連に人権救済を申し入れ、今年1月受け入れられた。

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