地名考−故郷の自然と伝統文化

江原道(南)−(1)地形

太白山脈中心に東西に分離

司空俊

雪岳山 竹西楼と吊橋

 東海岸に沿って高度1000メートル前後の険しい太白山脈が走り、全般的に西に向かうほど低くなる。太白山脈は元山の南方の淮陽(フェヤン)付近から南下し、洛東江の上流に至る太白山まで、500キロメートルに達する大山脈だ。この山脈によって江原道は東側の嶺東地方と西側の嶺西地方に分けられる。

 嶺東地方は急斜面で朝鮮東海側に傾いている。東海岸は隆起性の海岸で直線的。良港には恵まれない。海岸地域が隆起した時、海岸段丘が形成され、潟湖(ラグーン、海の一部が砂州でせき止められて湖になったもの)、砂嘴(サシ、静岡県の三保の松原で見られるように砂が海流によって運ばれ、鳥のくちばしのように堆積したもの)が発達している。

 嶺西地方の大部分は起伏の激しい解析高原(谷によって原形が失われたような高原)で、西方にゆくにつれて低山性に移り変わる。

 気候は脊梁山脈(セキリョウ山脈=骨組の基本になる山脈)である太白山脈の東西、つまり嶺東と嶺西で著しく異なる。嶺東の冬は太白山脈が北西風を防ぎ、比較的暖かく、夏は海岸地方であるので涼しい。年間降水量は1300ミリメートルだ。

 嶺西は内陸であるため、冬は寒く、盆地が多いので夏は暑い内陸性の気候である。この地方では独特の「金剛おろし」が吹く。これは東風によるフェーン現象で、気温は39度以上、風速は秒速20メートル(40メートルの記録もある)に達する強い風のこと。これが春先に吹くと農業に打撃を与えることがしばしばあり、そのため「緑塞風」(ノッセパラム=農作物を枯らす風)ともいう。

 太白山脈の西部には阿虎飛嶺(アホビリョン)山脈、馬息嶺(マシクリョン)山脈、車嶺(チャリョン)山脈が分岐する。車嶺山脈と小白山脈に囲まれて嶺西高原が位置する。平康と鉄原(チョルウォン)一帯は玄武岩台地で、傾斜度は2〜3度と緩やかだ。馬息嶺山脈の南側は有名な秋哥嶺(チュガリョン)地溝帯が200キロメートル延びる。そのまま行くとソウルに至る。狭いところは幅が100メートル程(三防峡谷)しかない。

 石炭(旌善=チョンソン=には南朝鮮埋蔵量の50%)、重石(寧越=ニョンウォル=の上東鉱山)、鉄鉱石、蛍石、石灰石、金、鉛、亜鉛、水晶、重晶石、ニッケル、タルクが生産される。

 太白山脈にはノロが棲息する。ノロは麝香(ジャコウ)鹿のことで国際的な保護種。朝鮮には多い。

 雪岳山、太白山、五台山、国島、雉岳山(チアクサン)、それに関東八景など名勝地が多い。

 関東八景とは通川(トンチョン、北半部)の叢石亭(チョンソクチョン)、高城(コソン、北半部)の三日浦(サミルポ)、杆城(カンソン)の清澗亭(チョンガンヂョン)、江陵(カンルン)の鏡浦台(キョンポデ)、三陟(サムチョク)の竹西楼(チュクソル)、襄陽(ヤンヤン)の洛山寺(ラクサンサ)、蔚珍(ウルチン、慶北)の望洋亭(マンヤンヂョン)、平海(ピョンヘ、慶北)の月松亭(ウォルソンヂョン)などのこと。

 歴史は古く、穢貊(イエベク)、新羅末には後高句麗(泰封国)に属し、高麗時期には朔方道(サクパンド)が設置され、その後、嶺東を沿海溟州(ヨネミョンジュ)道(後に江陵道、交州道)、春川地方を春州道(東州)に、これを合わせて江陵朔方道、交州江陵道などと称されたが、李朝時期に江原道と呼ばれるようになった。

 中心地の江陵と原州(ウォンジュ)の頭文字に由来。原襄(ウォンヤン)道、原春(ウォンチュン)道と呼ばれたこともあった。

 山地が多く、火田民(焼畑農業をする農民)が残っている。
(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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