人・サラム・HUMAN
亡き母の思い出綴る
歌人・道浦母都子さん
歌人でエッセイストとして活躍する道浦母都子さんがこのほど、初の自伝的エッセー「母ともっちゃん」(岩波書店)を出版した。 道浦さんの母は2年前の正月に亡くなった。 本のタイトルは――「もっちゃん」と最期に呼びし母のこえ那智黒飴の甘さのような――の一首からとった。 日本統治下の朝鮮半島に渡り「日本チッソ」に就職した父と総督府に勤めていて結ばれた母。敗戦の頃は北の興南にいた。混乱の中、幼い子供たちを連れて、南の仁川まで歩いた。その時、朝鮮の青年に助けられた経験を持つ。 幼い頃から母にその青年の話を聞きながら成長した道浦さん。誰とでも仲良く、差別は絶対にいけないという父の口癖、朝鮮で味わったキムチが忘れられずいつも自家製を絶やさなかった母の姿。 「両親の朝鮮民族への親しみを心に感じて大きくなりました。後に社会に関心を向けていく下地にもなりました」 その体験から言えるのは「親が子供に正しい歴史を伝えていく」ことだと語る。 島国ニッポン。排他的な風潮も根深い。本当のことを言うことが、困難で苦しい時代に生きているが、やはり、口ごもることをやめ、小さくとも、しかし、確実に本当のことをいい続けていかなければ、と語る。 朝大から米国カ大学へ転入 大学生・李天鎬さん 米国カリフォルニア大学コンピューターサイエンス学部4年生の李天鎬さん(26)。 1997年、朝鮮大学校理学部を卒業後渡米。99年8月、朝鮮大学校から発行された、李さんの成績証明書がカリフォルニア大学システム(同州内9つの大学の総合システム)学業審査委員会で認定され、コンピューターサイエンス学部4年生に転入した。 渡米直後、カレッジで英語を学びながら、大学へ入るためにあらゆる手を尽くした。 名誉学長に「推薦状を書いてください。この大学に平壌からの留学生がいない条件の中で私の存在は貴重なはずです」とメールを送った。すると名誉学長は「君を入学させる権限は私にないけれど、最後までがんばりなさい」と会って励ましてくれた。 目下大学院を目指している李さん、ゆくゆくは平壌コンピューターセンターを訪ねて祖国の科学技術発展のために貢献したいという。「そして3、40年後には民族教育の教壇に立ちたいのです」。 |