閑話休題
「迷信」流す人々
健康なナショナリズム?
「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝東大教授らは、司馬遼太郎氏を引き合いに出して、明治の日本の「健康なナショナリズム」の復権を唱えている。
司馬氏に限らず、日本の右から左まで幅広い層の人々が「迷信」のように信じてやまないのが「日清、日露戦争までは 正しい戦争 だったが、満州事変以降、太平洋戦争の時期は無能な指導者によって敗戦の憂き目にあった」という説だ。 この言説こそ、許し難い歴史のわい曲、偽造であり、虚構にもとづく自己中心的な「神話」に過ぎない。1894年、日本政府は日清戦争の開戦にあたって、宣戦の詔勅で、朝鮮の独立を侵そうとする清国の野望から、朝鮮の独立を守ることが、この戦争の目的であると内外に宣言した。しかし、実際には朝鮮の軍事的・政治的制圧、そしてそれをてことしての経済的収奪の強化、それが日本政府の朝鮮政策のすべてであった。 この考え方は、後に日本が朝鮮を「併合」する場合にも一貫している。日本が「併合」しなければ、朝鮮は清朝中国やロシアに支配されるに決まっているという口実のもとに、朝鮮は日本の植民地にされた。その後の日本は虚構を重ねて、野望はますます肥大化し、朝鮮への侵略は、中国全土から東南アジア、太平洋上の島々にまで拡大されていったのだ。 日本は植民地支配と他国への侵略そのものに対する厳しい反省、正当性も道義性のかけらもないものだったことを自覚しない限り、アジアの仲間にはなれない。 隣人を殺し、隣人から奪った行為を賛美して成り立つ「健康なナショナリズム」などあり得ない。(粉) |