春・夏・秋・冬

 48年前の今日、7月27日、板門店で朝鮮戦争の停戦協定が締結された。米国の不敗神話が崩れた日である。この後、性懲りもなく首を突っ込んだベトナムでは海に叩き込まれてしまった。米大使館員や米国のかいらい政府要人たちが戦闘ヘリに鈴なりになりながら逃げ去っていく光景は、いまだにまぶたに焼きついている

▼第2次世界大戦後、戦勝に酔い知れる米国がその勢いをかってアジアにおいて二つの戦争を引き起こした要因については、当時始まっていた旧ソ連との冷戦の構図の中で語られることが多い

▼最近、古今東西の名将と呼ばれる軍人たちの戦略論を読んでいて、なぜ米国が朝鮮に手を出したのか、ヒントを与えてくれる言葉に出くわした。「国家の安全保障力が不十分であれば、それはもっとも基本的な戦争の原因となる。とくに、周辺諸国が軍事的に強力であれば、その傾向が強い」。近代機甲戦術の生みの親といわれる英陸軍少将、フラーの指摘である

▼ナチスドイツの不意を突いた猛攻撃に多大の損害を出したソ連にも武器支援をし、まさに第2次大戦で一人勝ちだった米国。赤子同然の朝鮮をわが物にし、大陸への橋頭堡を確保したい誘惑に駆られたことは想像に難くない

▼朝鮮は62年から経済、国防建設を並進させる戦略を取った。そして今、金正日総書記の軍事重視思想のもと、強盛大国作りに余念がない。その甲斐あって、68年のプエブロ号と76年のポプラ事件、94年の核騒動時、米国は軍事力を行使できなかった。歴史の教訓を生かした国造りである。(彦)

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