地名考−故郷の自然と伝統文化
忠清南道−Cフン打令
ヌンス(しだれ)柳に秘められた恋
司空俊
柳の木が生い茂る天安市街 | 李朝正祖大王が温陽温泉に行く際に立ち寄った永南楼 |
この地方の民謡に、忠清道フン打令(興打令=一名天安三巨里打令)がある。
天安三巨里 フン/重さに耐えきれず しだれたとよ フン(しだれ柳の垂れた様子)/エルフア ジョッタ(よっしゃ) フン/成火が起きたよ フン/銀河鵲橋(ジャクキョ)が フン/ぽっかり 落ちたとよ フン/南陽 草堂に フン/遅く寝たよ フン 巨里(コリ)とは三叉路のことで、「街」とも書く。湖南、嶺南、湖北にゆく分かれ道のことである。成火とは非常に気をもむこと、気があせる、煩悶するという意味だ。 鵲橋は七夕の夜に牽牛と織女の2つの星が天の川で年に1度逢うとき、鵲(カササギ)が羽を広げて渡すという橋で、「烏鵲(オジャク)橋」ともいう。草堂とは風流な趣向をもつ離れの草屋、葦や藁で葺いた小さな別棟のことである。 全国各地に「アリランの歌」があるように、「フン打令」も各地のものがある。朝鮮語で「しだれ柳」のことを「ヌンス柳」というが、ヌンスは綾垂(ヌンス)という娘の名(または綾紹=ヌンソ)だという伝説がある。これに従って歌の由来をひもといてみたい。 昔、ある武士が北辺の地に侵入しようとする外敵に備えて出陣した。武士は1人で幼い娘を育てていた。出陣にあたり、武士はある酒屋の主人に娘を預けた。 そのとき、家の前に柳の小枝1本(杖)を挿した。そして、父は帰らぬ人となった。小枝はしっかりと根を張った。 歳月は流れ、ヌンスは美しい娘に成長した。そのころ科挙試験のため上京中の朴賢秀という書生が天安に立ち寄り、ヌンスに一目ぼれする。相思相愛の仲となったが、やがて賢秀が漢陽(ハンヤン、今のソウル)へと出発する際にヌンスは、街角の柳は父が植えたものだと明かす。そのことから朴書生は柳を「ヌンス柳」と命名し、「この柳が枯れない限り2人の愛は永遠」と誓った。しかしその後、朴書生の消息は途絶え、歳月は流れるばかり。そして、三南地方が酷い干ばつに見舞われ、ついに柳の木は枯れてしまう。 ヌンスは愛の約束が断ち切られたと悲しみ、自ら命を絶った。年月が過ぎ、朴書生は科挙試験に合格、三南地方の御史(王の使い)となった。ヌンスの最期を知った彼は、天安地方にヌンス柳をたくさん植えるよう命じたという。別の言い伝えでは、2人は再会でき、うれしさのあまり「天安三巨里フン ヌンスや 柳はフン」と踊ったことから民謡が生まれたという。 忠清道の方言 地理的に慶尚道、全羅道、京畿道に近いので、これらの地方の中間型の特徴を示す。とくに慶尚道と京畿道の影響が著しい。 一.エU(ae)、エa(e)、エo(we)、エ}(wa)、エ・wo)をはっきり発音する。 二.母音と母音の間のF(s)音がみられる。 나으니(nauni=癒す)→낫으니(nasuni) 三.レ、己、フ、〇、の口蓋音化がみられる。 길(kil=道)→질(til) 四.語尾を長くのばす傾向がみられる。 야〜(ya〜) |