そこが知りたいQ&A
「靖国神社」とは?
侵略戦争肯定の場/戦没者、「神として祭る」
Q 小泉首相が、日本が敗戦した8月15日に「靖国神社」を参拝すると公言していることに対して内外の批判が高まっていますが、そもそも「靖国神社」とはどんなところなのですか?
A 明治維新の内戦で犠牲になった人たちの霊を慰めようと1869年、明治天皇が東京招魂社として創建し、1879年に「靖国神社」と改称されました。その創立の由緒から、一般の神社と異なって陸・海軍の共同管理となり、以来、神社祭礼の制をもって、内戦、侵略戦争を問わず、「日本国のため」「日本を護るため」に犠牲になった国民が祭祀される場所となりました。 清日戦争以来の、日本帝国主義がアジア侵略戦争を拡大していった時期、「靖国神社」は出征兵士の出陣儀式の場、戦闘で勝利した時の祝勝の場でした。つまり、「靖国神社」は国民の戦意高揚の施設であり、天皇と国家が戦没者の献身的行為を賞賛し、名誉を与える軍国主義の中心的な場所だったのです。 国民を侵略戦争に動員する装置として国家神道と「靖国神社」が機能していたにもかかわらず、GHQは天皇制同様、「靖国神社」を存続させました。そして1946年2月に「宗教法人・靖国神社」となり、今に至ります。 Q どんな人が対象なのですか? A 明治維新に関わった人々のほか、清日戦争以降、日本によるすべての侵略戦争の戦没者で、東京裁判で死刑判決を受け獄死した戦犯も含まれています。その総数246万6000余人のうちほとんどは太平洋戦争の参加者で、その数は213万3000余人にものぼります。 なんと、かつて日本の支配下にあった朝鮮・台湾出身の軍人・軍属約5万人も合祀されていますが、家族には知らされていなかったケースが多く、合祀取り止めを求めて日本政府を相手に訴訟を起こした遺族もいます。最近の報道によると、南朝鮮政府は「靖国神社」に合祀された同胞の位牌返還を求める方針を決めたといいます。 Q 首相をはじめ政府要人らの参拝に対して、内外から強い反対の声が出ていますが。 A 小泉首相は就任早々、「家族や国のことを思って戦争に行かざるを得なかった人への敬意を込め、総理として参拝する」「戦没者に心からの感謝で参拝したいと思う」などと述べました。 しかし先にも述べたように、「靖国神社」は国民を侵略戦争に動員する装置でした。さらに「靖国神社」が戦没者を祭ることの意味は、単に墓地に遺骨を安置することとは本質的に異なり、戦没者が国の戦争のために命を懸けて尽くしたという「神徳」を持つがゆえに「神」として合祀し、顕彰(功績などを世間に知らせ、表彰すること)するのです。ここには戦争参加者の行為とともに、日本の行った戦争自体を正しいものとして肯定する道徳的な評価が含まれています。 したがって「靖国神社」への参拝は、すなわち過去の侵略戦争を肯定し、正しかったと評価することです。日本が過去の侵略戦争について反省しているならば、「敬意」と「感謝」を持って参拝していいはずはありません。これは、95年の戦後50年に際する村山首相談話とも大きく矛盾しており、アジア諸国が反対するのは当然のことです。 また「靖国神社」は国の管理から離れた今も、戦没者の「神徳」を顕彰し、これを国民の「理想」として広める役割を果たす宗教法人であり、そこに祭られた戦争参加者たちは「英霊」「神霊」として宗教的に崇拝されています。日本国内でも、アジア諸国への配慮とともに、このような「靖国神社」の精神が日本国憲法の平和主義、政教分離の原則に反しているとして、要人の参拝に反対する人が数多く存在します。 Q 小泉首相が公式参拝したらどうなりますか。 A 小泉首相が仮に公式参拝すれば、現役首相の公式参拝は85年の中曽根首相以来のこととなります。これは、90年代後半から急速に進んだ日本の右傾化を内外に赤裸々に示す結果となり、日本のいっそうの孤立化は免れません。 90年代に入り、日本政府は宮沢、細川、村山政権のもとで不十分ながらも徐々に過去を反省する姿勢を示してきました。しかし、その不十分な姿勢すらも右派勢力からの強烈な巻き返しにあい、95年の村山談話をピークに空気は完全に逆戻りし始めました。それは、現在、大きな問題となっている歴史教科書問題などを見ても明らかであり、こうした空気の中で、16年ぶりの首相による「靖国公式参拝」の主張も出てきました。 反省しない日本、表向きは反省するふりをしても実質的には一貫して過去を肯定し続ける日本。アジア諸国が信用しないのも当然です。真の過去清算以外に、日本が信用を取り戻す道はないでしょう。 しかし小泉首相は現在のところ、教科書問題で悪化したアジア諸国との関係改善に、8月15日に「靖国神社」を参拝した後に着手するという意向を示しており、さらなる猛反発を招いています。8月15日に向け、その動向が注視されます。 |