くらしの周辺

祭祀の効用


 祭祀。今日は、実家で祖母のチェサをする日だ。僕は関西を離れ関東に来てここ数年、仕事にかまけて盆と正月以外にある祖母のチェサへの参加をさぼっている。ただ妻が子どもらを連れて行ってくれている。準備の手伝い、そしてなによりも僕の親に孫の顔を見せるためである。アボジは元来よりチェサ廃止論者で「わしが死んだらチェサはせんでええ。死んだらなんにもわからん。生きてる間に孝行せい」という。しかしオモニはやはりこだわりがあるようだ。チェサの準備に一番、手を煩わされる…いや、「煩わされる」とは先祖に失礼か…忙しく動き回っているオモニがこだわりを見せることに考えさせられてしまう。男だけがその「本番」に参加するチェサほど男尊女卑の思想、価値観がそのまま表現されているものもないというのに。

 本紙に寄稿されている歴史学者の朴鐘鳴先生が、チェサの効用として、親族が一堂に会し、親交を深める機会が提供されることを挙げられていたのを思い出す。異郷に住む、根無し草の同胞は一族の団結、相互扶助によって生活を守り、また築き上げてきた。そういった意味でチェサの効用はこれからも意味あるものだということである。また形式は柔軟に考えてもいいのではともおっしゃっていた。

 この「在日的効用」、オモニの気持ち、そして蒸し豚も喰いたい! といったことから私はやはりチェサは続けようとおもう。簡素化して。男女とも「本番」に参加する形で。
(金東鶴)

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