地名考−故郷の自然と伝統文化

忠清南道−B論山、天安、錦山など

朝鮮最大の恩津弥勒

司空俊

潅燭寺の石像弥勒菩薩立像 修徳寺の弥勒立像

 論山(ロンサン)は現在軍事都市で、「陸軍第2訓練所」がある。市内の江景(カンギョン)邑は、古くは市場が立ち、一時は平壌、大邱とともに3大市場と言われたこともあったが、湖南線の開通(1911年)に伴い廃止された。論山の潅燭寺(クァンチョクサ)には朝鮮最大だといわれる4等身の恩津弥勒(ウンジンミルク)仏(高さ24.5メートル、耳の長さ3メートル、眉毛2メートル)がある。37年かけて、1006年に製作された花崗岩の石像。

 天安(チョンアン)には「ヌンス柳」がある。天安三巨里にある柳のこと。ヌンス(ヌンソともいう。乙女の名)が柳の木の下で別れを惜しむのがまぶたに浮かぶようだ。思慕と柳の組み合わせはロマンをかきたてる。平壌の大同江の江畔にも「ヌンス柳」が植えられており天然記念物になっている。

 この地方のクルミは植民地の時期、大量に奪われた。「ソウルから1時間、クルミと三巨里の里」と言われるほど有名。西部忠南八郡の関門都市でもある。

 錦山(クムサン)は1963年1月に、全羅北道から忠清南道に編入された。豊基、扶余とともに高麗人参の名産地で、南朝鮮の生産量の6〜7割を占める。南二面に「開眼」という部落がある。高麗人参がはじめて芽(眼)を出し、育ったところという言い伝えがある所だ。

 付近には錦江という深い河があり、船が比較的容易に出入りできたことから、中国からの湖塩(岩塩)の輸入中心地になった。内浦平野の米や、西海のイシモチ、タチウオが多く集まる地であったため、よく市がたった。かつては朝鮮の代表的な市場の1つだったこともある。陸路による交通手段が発達するにつれて、すたれた。

 礼山(レサン)では修徳寺が有名。訪れる人は周辺の奇岩奇態、絶景の山々、思い思いの自然美によって「没我」の境地に至るとされる。地元の人々は「忠節のふるさと」と呼ぶ。後百済が滅び、高麗太祖がこの地を統治したとき、「不事二君」と屈しなかったからである。忠清道地方の金融、経済の中心地で「礼山では衣服の自慢するなかれ、洪城では学あることをさらすな」といわれる地方である。今は礼唐貯水池の潅漑によって農業が盛んな地になった。

 天原(チョンウォン)は、朝鮮最高の味を誇る成歓ウリ(瓜)の産地。牙山には温陽温泉(アルカリ泉)がある。浴後、涼しく感じることから「清涼湯」などと呼ばれ、傷、火傷に効くとみられている。

 柳寛順の故郷で彼女の碑がある。1919年の3.1独立運動に参加、帰郷して国旗を掲げてデモを指揮、4月2日に逮捕され、拷問の末、ソウル南大門で獄死した。16歳であった。

 青陽周辺の車嶺山脈からは金、銀、タングステンが採掘された。

 燕岐(ヨンギ)には忠北線始発駅の鳥致院があるが、忠清北道に近いため生活圏は清州方面に属する。ハッカの産地でもあり、大植物園があることで有名。「唐津米」で知られる唐津(タンヂン)は柿、栗、天然塩の産地である。瑞山(ソサン)は泰安半島と諸島からなる。特産物はカラムシ(麻の一種)である。中国からの仏教伝来ルートにあげられている。

 「洪城米」の洪城(ホンソン)、保寧(ポニョン)は硯石に利用される藍浦石の産地である。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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