いえぬ朝鮮在住被害者の傷
写真家の伊藤孝司氏 文と写真・「平壌からの告発」出版
日本の植民地支配により被害を受けた、朝鮮民主主義人民共和国在住者の調査を続けている写真家の伊藤孝司氏が、この間の活動をまとめた「平壌からの告発―日本軍『慰安婦』・強制連行被害者の叫び―」(風媒社、800円+税)を出版した。公文書で在住が確認された被害者の証言や、朝鮮で初めて発見された日本海軍「慰安所」(清津)に関する記録がまとめられている。
5度にわたる訪朝 本書には、伊藤氏が1992年から5度にわたって訪朝取材した強制連行、性奴隷、被爆などの被害者の証言と写真が収められている。 日本の植民地支配によって生じた被害に関する真相調査は、日本政府が関連資料を意図的に隠ぺいしてきたことによって困難を余儀なくされてきた。 とくに朝鮮は日本と国交がないことから調査には多くの障害を伴い、その実態は日本国内に伝わっていない。 しかし、90年代初めから各地の朝鮮人強制連行真相調査団や朝鮮の被害者団体、心ある日本市民の取り組みによって、次第にその全容が明らかになってきた。 本書はこの間の調査の集大成ともいえるもので、被害者の名前や存在が日本や米国の公文書で裏づけられているのが特徴だ。 例えば、故郷の慶尚南道から「徴用」された白★(しめす偏に是)寅さん(74、平壌市在住)は、90年8月に労働省(当時)が発表した「いわゆる朝鮮人徴用者等に関する名簿」にその名前が確認された。白さんは43年4月、三菱が経営する「明延鉱山」(兵庫県)に連行され、強制労働を強いられた。 米軍が写真撮影 南浦市在住の朴英深さん(78)は、性奴隷被害者。南浦市で生まれた朴さんは、38年に日本人巡査に「軍や病院の仕事がある」とだまされ、中国・南京、シンガポール、ビルマ、中国雲南省・拉孟の「慰安所」に連行された。46年に故郷に帰り、南出身の男性と結婚。夫は3年後に他界したが、自らの経験を話すことはなかった。「慰安婦」であったことを名乗り出たのは、「世の中にこんなことが二度とあってはならない」という気持ちからだった。 朴さんは昨年五月、日本軍性奴隷制問題に取り組む日本の市民団体、バウネットジャパンの取材に応じ、「若春」の名前でビルマで「慰安婦」生活をしたと証言した。 メンバーの一員だったルポライターの西野留美子氏は以前、拉孟に駐在していた旧日本軍軍人に日本でインタビューしており、「若春」という朝鮮人「慰安婦」がいたこと、さらには、米連合軍が44年に中国―ビルマの国境地帯で撮影した身重の女性が「若春」という日本軍「慰安婦」だということを確認していた。そこで、同年8月に再度訪朝し、朴さんにその写真を見せて本人であることを確認。貴重なケースとなった。 北部からの強制連行 日本による大々的な朝鮮人強制連行は39年から始まった。当初は地理的に近い朝鮮半島南部からの連行が主だったが、44年には対象者が底をつき、北部、つまり現在の朝鮮民主主義人民共和国に当たる地域からの強制連行も本格化した。 愛知県半田市にある中島飛行機半田製作所には、約1300人もの朝鮮人が連行されたが、多くは朝鮮北部の出身だった。こうした事実は、愛知県朝鮮人強制連行真相調査団や朝鮮側の調査、そして伊藤氏の尽力によって明らかになった。 本書には同製作所で強制労働を強いられた被害者である崔★(广だれに異)天さん(74、咸鏡南道在住)の証言も収められている。来月9日には名古屋で崔さんの証言集会が開かれる予定だ。 過去清算し国交を 日本の植民地支配によって被害を受けた朝鮮の人々に対し、日本政府は今なお、謝罪も補償もしていない。朝・日国交正常化交渉が遅々として進まないのは、日本政府が不法な過去を認め清算する態度を示していないからだ。 伊藤氏はあとがきで、こう述べている。 「被害者たちは、日本人である私に怒りの言葉をぶつけてきた。日本が朝鮮におこなった過酷な支配の歴史と、それを清算しようとしない日本の現状をみれば、日本に対して強い不信感や敵意を抱くのは当然である。日本と朝鮮との関係改善は、日本政府が誠意をもって過去を清算するしか道はない」 【風媒社】 〒460―0013 名古屋市中区上前津2―9―14 久野ビル TEL 052・331・0008 |