春・夏・秋・冬

 東京・江東区枝川に住む尹太祚さんは強制連行先の麻生炭坑(福岡県)から逃走した経験を持つ。過酷な労働条件の下で大けがをしたことが、逃走を決意する直接の原因となった。「昼は見つかると大変なので山に隠れ、夜歩くのです。しかし、お腹はすくし、山道はこわいし、無事逃げることができるか不安でいっぱいでした」

▼先日判決が下されたある訴訟を見て、尹さんのことを思い出した。この訴訟は第2次世界大戦中、中国から強制連行され、劣悪な労働条件から逃走、終戦を知らずに北海道の山野で13年間も生活した故劉連仁さんが、日本政府に損害賠償を求めていたもの。東京地裁は国の責任を認め、請求通り2000万円の支払いを命じた

▼門前払いに等しかったこれまでの戦後補償裁判からすれば、今回の判決はある程度評価できる。強制連行を国家政策として実施した日本に対し、強制連行者を保護する義務があることを指摘したからだ。しかし、肝心の強制連行、強制労働による被害そのものに対する賠償は認めなかった

▼判決理由は、劉さんの逃走生活を「筆舌に尽くしがたい過酷な体験」と表現した。だが、劉さんにとって、強制連行そのものが「過酷な体験」であったろう。そうでなければ、「見つかれば殺される」と13年間も山にこもり、おびえ続けることはなかった

▼歴史教科書のわい曲問題で北南朝鮮、中国などは再三日本政府に対し、修正を求め強い抗議を表している。なぜそこまで抗議するのか。強制連行された人々の真の痛みがわからなければ、その意味もわかるまい。(聖)

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