福沢諭吉と「脱亜論」の呪縛

白宗元


 近隣諸国から、日本の歴史教科書にたいするきびしい批判が続いているが、最近、福沢諭吉の評価にかかわる議論が行われているのは注目される。

◇                            ◇

 福沢は、日本の近代化の初期、社会的な影響力を持つ教育者、言論人として広く啓蒙的な活動を行った。彼のイメージを大衆的に深く印象づけたのは、例の「天は人の上に人を造らず、人の下にひとを造らず」、国と国との場合もまた同じである(学問のすすめ)とした一言であろう。

 しかし、実際の彼は、農、工、商の三民は士族に及ばない存在と断じ(分権論)、明治政権の圧政に耐えかねた農民のたたかいを、徒党をくんだ恥知らずの無法行為と非難した。軍備拡張のための政府の「官民調和」政策に積極的に協力し、1880年代に高揚していた自由民権運動を、ついに退潮と瓦解に追い込んだ彼の実像は、民衆の側に立った「自由民権主義者」のイメージとは、あまりにも程遠い。

 民権より国権の拡張を主張した彼は、清日戦争の前夜、大部分の言論を朝鮮問題に向けたが、特徴的なことは朝鮮人に対する一貫したべっ視の態度であり、日本の侵略行為を正当化して、露骨に戦争の開始を唱えたことである。

 福沢は朝鮮を「小野蛮国」と呼び、日本がアジアの文明国として朝鮮を指導するのは当然であるとした。そして、ついには「朝鮮人のため其国の滅亡を賀す」(時事新報)と他国にたいする無礼な、言語道断としか言いようのない暴言を吐いた。

 彼は、百巻の国際公法は数門の大砲にしかず、としてアジアの盟主となるべき日本は、そのためには武力による脅迫も妨げない(時事小言 国権之事)とまで公言した。ますますエスカレートした彼の熱狂ぶりは、これがあの文明開化や自由民権をうんぬんした同じ人物であろうかと疑いたくなるほどである。

 自由民権運動を守り同じ時代を生きた中江兆民は、名指しこそ避けたが自国の開化を自慢しほかをべっ視するのは、真の開化とはいえない、小国日本は「東洋の盟主」などと自称すべきではなく、道義の外交を堅持すべきである(論外交)、と彼をきびしく批判している。

 一部の人は、福沢に過激な表現はあったにせよ、アジアをべっ視したわけではない、金玉均ら開化派を援助もしていると彼を擁護している。

◇                            ◇

 しかし、朝鮮にたいしてあれだけ執拗に侮辱を加え、武力侵略を主張し続けた福沢が朝鮮の近代化、清国からの自主独立をめざした金玉均らを利用しようとこそすれ、真心から援助するとはあり得るべくもないことである。事実、開化派の政変が挫折した直後、彼は「日本人に朝鮮を勢力範囲に置かなければならないという教訓を与えた」といい、軍備をますます拡張しなければならないと強調した。(井上角五郎先生伝)

 彼の対外的主張の中核をなすのは「脱亜論」であるが、昨今の日本の状況は、西欧には追従し、朝鮮や中国との連帯は拒絶すべきであるとする「脱亜論」の呪縛から、多くの人々が、今もなお脱していないことを示している。

 国権拡張論者としての福沢諭吉に対する批判は、共通の歴史認識を持つうえでも必要である。(朝鮮近代史研究者)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事