本の紹介


「正さ」への問い

野呂香代子、山下仁編著、三元社、本体2800円

 本書は、「ことば」というものは政治的・経済的・文化的な利害関係が交錯する社会のなかでつくられたものにすぎず、既存の価値観や権威とされる規準・規範を批判的に見直そうという観点から執筆・編集された7編のユニークな論文集。

 「『総聯朝鮮語』の基礎的研究」と題する論文(植田晃次氏)も収められている。著者は、主として民族教育によって習得された朝鮮語を『総聯朝鮮語』と名づけ、歴史的経緯、規範となる共和国の言語政策、民族学校における母国語教育の目的、現状について概略している。さらに、「ことばの乱れ」、「母国話者にくらべ劣等感をもつ」など新しい世代の言語生活の実態、内面性を生徒の代表的な作文・詩などを引用しながら分析。

 結びでは、民族学校が在日朝鮮人の母国語習得で果たした機能を高く評価し、たとえ「総聯朝鮮語」が母語と疑似母語、文化語と日本語の狭間で方言の影響も受けながら形成された重層的で「正しくない」「身体の言語・日常の言語」であるとしても、それで生き生きとした意思疎通を行っている姿をむしろ肯定的に見るべきだとしている。

歴史教科書とナショナリズム

和仁廉夫著、社会評論社、本体1800円

 ナショナリズムは近現代史の中で軍国主義や全体主義を確立する方便に使われたりした結果、紛争や戦争が起こる諸悪の根源のようにも言われてきた。ナショナリズム自体に罪があるわけではない。各民族や国民がナショナリズムや愛国心を持つことは自然な成り行きである。しかし、ナショナリズムを侵略戦争の道具にした国においては、それが複雑性を帯びるのは仕方ない。日本もその1つであり、おそらく世界で最もその概念のねじれた国だろう。

 ナショナリズムは主に教育、中でも歴史教育において培われてきた。その観点から本書は日本の偏狭なナショナリズムがどのように歴史教育において培われ、その延長線上に「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史わい曲教科書があるのかを立証する。

 さらに、日本の偏狭なナショナリズムや「つくる会」の教科書がアジア諸国からはどう見え、どう見られているかを検証している。他国の目を導入することは、ナショナリズムの質を問ううえで重要なファクトとなりえる。

 本書はわい曲の系譜をたどった結論として、偏狭なナショナリズム、「日本史」の解体を主張する。

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