地名考−故郷の自然と伝統文化
忠清北道−Dタバコ
最も風味豊かな産地
司空俊
タバコ貯蔵庫 |
槐山弥勒里石仏立像 |
報恩(ポウン)の俗離山の近く、九屏山の麓に「子授かり仏」がある。
封建時代には世継ぎを生まない嫁は、ただそれだけの理由で「三下り半」を突きつけられた。これは何も朝鮮だけに限ったことではなかったが。 そのため、かつては婦人たちの間では祈子民俗が盛んであったらしい。しかも、南では、今でもその風習がかなり根強く残っているという。在日同胞の若い女性たちには想像もできないだろうが。 これと関連して、次のような題名のない歌も流行っている。 いばらの花は婿にゆき/石榴(ざくろ)の花は喪にゆく/万人(人々)よ 笑うなよ/童子が一人 見送ってゆく イバラの花のような白髪の老人が婿にゆき、ザクロの花のような紅顔の美青年が世を去った。そして子供がそれを見送っている。「人々よ笑うな」というわけだ。 これは男子を授かれないとどうなるかを風刺した歌である。とくに、母親はやるせない思いに違いない。とはいえ、親にとってはどの子供も皆かわいい。どの指を噛んでも皆、痛いのと一緒である。なんとも悲しい歌だ。 このような家族関係において果たして楽しい団らんがあるのだろうか。在日同胞はこのようなことはあってはならないと願っている。 ここでタバコについて述べてみたい。 忠州(チュンジュ)、清州(チョンジュ)、槐山(クエサン)、陰城(ウムソン)は黄草種(タバコの種類)の名産地。「清州葉」、「槐山葉」などと呼ばれるほどだ。朝鮮には日本から渡ってきた。タバコ原種の伝来コースは、西草は中国から、南草はポルトガル、オランダから日本に伝わり、これが朝鮮に入った。歴史の本には1492年にコロンブスがアメリカから持ち出したとされている。 黄草、西草、南草の3種が「淡婆姑」(タムパコ)、別称「南霊草」である。民間や日本では「淡白魂」と呼ばれた。 江原道の原州あたりで歌われた民謡に「タムベク打令」がある。「淡白」(タムベク)はタバコに通じる。 タムベクや タムベクや/東海蔚山のタムベクや/おまえの国はどこ なぜ(私の国に)やってきた/銀をくれに やってきたのか/金でもくれに やってきたのか… タバコ好きの人には「ドキリ」とする民謡だ。タバコが何の得にもならず、害をもたらすだけであることを風刺しているからだ。 なおつけ加えるならば、「淡婆姑」の後にも何種類かのタバコが朝鮮に入り、大邱、密陽で栽培されたが人気がでなかった。1900年代に米国のバージニアなどから黄草種が入り、気候風土が忠州地方に合うことから、栽培適地となった。こうして最も風味豊かなタバコの産地の1つになったのである。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員) |