現場から−金香淑(西神戸初級教員・39)
出来ることから1つずつ
保護者と取り組む障害児教育
昨年1年間、1年生を担任しました。そのクラスには、知能の発達がほかの子に比べてゆっくりな、精神発達遅滞という障害を抱える男の子がいました。20年近い私の教員生活の中で初めてのことでした。
ユーモア抜群で絵が上手な男の子でした。障害の程度は比較的軽く、物事を理解する能力はあります。ただ、ほかの子より理解するのに時間がかかるので、彼に合った指導方法を考える必要がありました。彼の発言や行動を注意深く見守り、保護者と毎日連絡帳を交換しながら取り組んでいきました。 彼は何でもみんなと同じようにしたがりました。そこで、負担になるのをある程度覚悟して、ほかの子と同じように課題を課しました。しかし1年間、彼は1日も休まず登校しました。そればかりか宿題を1度も忘れたことがありません。そこにはオモニ、アボジの並々ならぬ努力がありました。おそらく毎日、2〜3時間は一緒に取りかかっていたのではないのでしょうか。もちろん、彼自身も相当な努力をしたと思います。 彼の一歩は健常児に比べると小さな一歩に見えるかもしれませんが、そこには健常児の2〜3倍の努力がある。教員がその「一歩」の価値を発見できた時、それが彼の自信につながり、その可能性を伸ばしてあげられるのだと気づきました。 また彼の存在は、ほかの子どもたちの成長にとっても意味のあることでした。印象深いことがあります。ある日の体育の授業がランニングだったのですが、運動場を1周し終わる時には誰かが自然に彼の手を取り一緒に走っていました。みんなと同じペースで走れない彼を放っておかなかったのです。 理解することから始まる。子どもたちが大切なことを教えてくれました。 ◇ ◇ 今春、彼の進級問題をめぐって保護者、校長、教務主任、1、2年の担任の6人で話し合いました。私自身、2年に進級後はもっと個別の対応が必要だと感じていました。保護者も同様の思いでした。 そこで、学校側は補助教員を置く提案をしました。話し合いの結果、週に3回、1時間ずつ、別の教室で個別に授業を行うことになりました。補助教員は以前、障害児を担任した経験がある教育会の職員が引き受けてくれることになりました。 2年生となった彼は、新たな担任と補助教員のもとで学校生活を送っています。3ヵ月が過ぎましたが、1年生の頃は一人遊びの多かった彼が友だちと交わり遊ぶことも増え、学んだウリマルも徐々に口にするようになりました。 ◇ ◇ 朝鮮学校における障害児教育の取り組みはまだ始まったばかりです。人的、物的な制約もありますが、困難な中でも出来ることはあります。学校、家庭、同胞社会−この3者が信頼、協力関係を築いた時、何かが動くのです。 朝鮮学校への就学を希望する障害児を受け入れるためのシステム作りは早急に求められています。地域から考えていこうと、兵庫では5月、障害児教育に関する教員の研究会を発足させました。 「兄弟3人を同じ朝鮮学校で学ばせたい」―。保護者のささやかな願いを実現するためにも、小さな一歩でも、出来ることから一つずつ取り組むことが重要だと思っています。 |