ゆがんだ風景−「記憶の戦争」の現場でB
戦争責任果す以外ない
対グローバルリズム戦略/経済問題と表裏一体
ドイツと日本の過去を語る時、欠かせない2人の著名な政治家がいる。1人はドイツの元大統領ヴァイツゼッカー氏であり、もう1人は中曽根康弘元首相だ。2人の政治家の足跡をたどると、ナチの過去と闘い続け、被害者らの信頼を勝ち得たドイツ政府の真摯(しんし)な歩みと、朝鮮とアジアへの戦争責任を果たさず、アジアの人々に苦痛を与え続ける日本の姿が浮き彫りになる。
◇ ◇ ヴァイツゼッカー氏は保守系のキリスト教民主同盟の党員で、84年から10年間、ドイツの大統領を務めた。「ドイツの良心」と呼ばれ、内外に声望は高い。「過去に目を閉じるものは、現在にも盲目となるだろう」という演説でも知られる通り、在職中から一貫して「どのように償っても克服することが不可能なほど、ドイツの過去(の罪科)は重い」と訴え続けてきた。 ドイツでは、こうした政治家の言葉が、ただ空言に終わっていない。敗戦後、連合国によるニュルンベルク裁判の後も、みずからの手でナチス戦犯を訴追して6000人以上を有罪にした。その努力は今も続き、ナチスによる殺人の追跡と捜査が行われている。ナチス礼讃は刑法違反になり、「ユダヤ人虐殺はウソ」などと公然と主張すれば、民衆扇動罪に問われる。 一方、中曽根元首相の歩みはどうであったか。戦後日本の右翼・国家主義的な流れに一貫して身を置いてきた、保守タカ派の代表的な政治家であろう。彼は戦前、内務省から海軍経理学校に移り、太平洋戦争開戦と同時にフィリピンのミンダナオ島ダバオに上陸して、42年の1月にはボルネオ島バリクパパン攻略に参加する。この時日本軍の軍性奴隷制に関与したと後に得々と喋っている。「3000人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある」(本人の回想録「終わりなき海軍」松浦敬紀編著)。さらに中曽根氏は85年8月15日、東京・九段の靖国神社を公式参拝したことでも知られる。これに先立つ7月には「どこの国にも無名戦士の墓がある。さもなくして誰が国家に命を捧げるか」と述べた。これこそ今、小泉首相に受け継がれているキナ臭い国家観であろう。 ヴァイツゼッカー氏と中曽根氏。2人の歴史認識の違いは、単に両者の政治哲学や人間性、モラルの有無だけに止まらない。日本とドイツ両政府の過去との取り組みの歴然とした差に表れている。 ◇ ◇ 戦争責任を無視する日本の体質を「いわゆる戦後の一億総懺悔以来の無責任体制」と鋭く追及するのが金子勝慶応大学教授である。金子教授はタレント経済学者たちの底の浅い「規制緩和」「グローバルスタンダード」などの大合唱をバッサリ小気味良く切る論客として知られる。 金子教授は「あえて挑発的な言い方をすれば、『国益』を守るためには国家という枠を越えなければならない逆説的な時代に突入した」との認識を示しながら、「このグローバリゼーション(世界化)の中で日本の戦争犯罪に対する責任問題をいち早く解決することが、グローバリゼーションに対抗する唯一の抜け道だ」と明快に語る。 近年、ドイツ企業に対して、ナチスドイツの強制労働の責任を問う形で裁判が次々と起こされ、日本に対しても同じことが起こっている。2000年9月に「韓国」、中国、台湾、フィリピンの女性たちが、アメリカのニューヨーク連邦地裁に日本の「従軍慰安婦」に対する強制労働犯罪の裁判を起こしたのもその一例。この間、ドイツは政府と企業が協力して50億マルクずつ出し合って「記憶・責任・未来」基金を作って、いち早く、米国の判決が出る前に戦争責任を自らで解決した。ドイツの議会は全会一致で、これに賛成し、基金を発足させのだ。 これに対し、日本はあくまでも自国中心主義を貫いてきた。国連機関の勧告にもかかわらず、「従軍慰安婦」に対する補償も責任者処罰も行われていない。強制連行に関しては、政府が正式な真相調査すら行っていないのが現状。金子教授は「日本はまったく鈍感というほかない。それどころか『新しい歴史教科書をつくる会』などの動きを見ると、いまだに復古的なナショナリズムを煽って日本の『国益』を売る荒っぽいナショナリストたちがいる」と嘆く。 戦争犯罪を問うということは、経済問題と表裏一体であり、未来に向って、今のグローバリズムに対抗する新たな戦略を立てて行くうえで不可欠の要素になる。金子教授は、そのために、南北朝鮮の平和と和解、日朝国交正常化の動きなど東アジア全体の緊張緩和が重要だと幅広い視点で語る。(朴日粉記者) |