設備投資し、完成品生産

97年に平壌進出、ユニコテックの兪★(王偏に完)寧会長

科協学術報告会の講演から


 6月23日に東京・代々木の国立オリンピック記念青少年総合センターで行われた在日本朝鮮人科学技術協会(科協)主催の第41回学術報告会に、ソフト開発ベンチャー企業、ユニコテックの兪★(王偏に完)寧会長が招かれ、講演した。兪会長は、南のパソコン用モニター製造の専門企業体IMRI社会長。1997年に平壌への進出を果たし、販売促進にいっそうの拍車をかけている。昨年には、在日同胞企業CGSなどとの合弁企業、ユニコテックを立ち上げた。「グローバル化と統一ITベンチャービジネス」と題して行われた兪会長の講演要旨を紹介する。(文責編集部)

質が高い製品

 IMRI社が平壌に進出を果たしたのは97年。翌98年2月にはモニター工場設立で合意した。しかし、その後の道のりは平たんではなかった。

 ココム(対共産圏輸出統制委員会)に変わって発足したワッセナー協約によって、平壌にコンピューター工場を作ることができなかった。また、当時南はIMF体制下にあり、多くの企業が倒産していた。そういう状況の中で北に進出したが、設備を南から平壌に送り、構造調整を進めた。

 しかし今では、ナンバーワン輸出ベンチャー企業との評価を得ている。現在、平壌モニター工場では月に6000台の半製品を生産する。完成品の生産量は300〜500台だ。

 コンピューターモニターの処理はテレビに比べて10倍はむずかしい。部品だけでも1130余個ある。そのせいか、最初の頃は不良品が全生産量の30%ほど出た。1つの原因として、北の労働者が何でも早く生産しようとするあまり、あせってしまう部分があったと思う。それは逆に生産量を少しでも高めようとの努力の表れだと感じた。

 だからこそ、南の技術者たちの技術指導にも力が入った。本社から年に7〜8回も訪れ、北の人々に技術を伝授した。

 その結果、2年後には6000台に5台しか不良品が出なくなった。1200台に1台の割合だ。

 北で生産された製品は、中国や台湾のものに比べ質的には格段に上だ。どの市場に出してもそん色ない。

欠点より長所

 単純な賃加工ではなく、設備を投資し、北で完成品を生産する方法はわれわれが始めたことだ。平壌の工場は、南のものよりも最新設備を整えており、北の労働者が技術さえ習得すればどんな製品でも生産できる。今年下半期からは19インチの製造教育を始める。

 北と経済協力を行う時に、電気がない、インフラが整備されていないなどと欠点ばかりあげつらうのは間違いだ。確かにそういった面もあるが、長所を見つけて、それをうまく稼動させていくことの方が大切だ。もちろん、犠牲と努力も伴うが、未来への投資だと思っている。

 例えば、われわれが仁川港から部品を積んでいくだけで、北ではその部品を探し、工場に持っていき、それを使って製品を生産し、船に積んで送るまでの全工程をこなしてくれる。料金の請求はすべてが終った後だ。こういったシステムが確立されているのは、北ならではだ。

南北が潤う

 北の技術が日本など海外の市場に進出するうえで、ユニコテックの果たす役割は小さくない。例えば、朝鮮コンピューターセンターと技術提携して弊社が開発した多国語ソフト「すらすらシリーズ」が日本の市場をにぎわせているのが良い例だ。

 ユニコテックの製品をより多くの人が購入してくれれば、平壌工場での生産量が高まり、北の経済も活性化するだろう。それは朝鮮半島全体が潤うことにもつながる。

 ベンチャーの精神は、北が提唱する科学技術重視と共通する。なぜなら、ベンチャーの精神の根底には、「新しい発想」があるからだ。

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