第4次総聯同胞故郷訪問団の「5泊6日」
5〜60年ぶりに故郷を訪れた、第4次総聯同胞故郷訪問団の「5泊6日」をまとめた。(李松鶴、羅基哲記者)
妹らと故郷を満喫 鄭点粉(女性同盟埼玉県本部顧問)/星州(慶北) 「ヨボ、ナン コヒャンエ カッタオゲッソ(あなた、私は故郷に行ってきます)」――。女性同盟埼玉県本部の鄭点粉顧問(78)は日本を発つ前日、夫の墓参りをした。57年ぶりに故郷、慶尚北道星州を訪れることを報告するためだ。 「夫は国の統一のために生涯を捧げたが、その日を迎えることも、故郷を訪れることもできず、この世を去った。それだけに、私が故郷を訪ねることになったことを伝えたかった」 故郷を訪れた鄭顧問は父の墓参りをしたほか、各地から集まった3人の妹と2人の弟、その子どもたちなど40数人に囲まれながら、家族のきずなを深めた。 鄭顧問をびっくりさせたのは、もうないと思っていた生家が存在していたことと、近所に鄭顧問を知る86歳になる老女がいたことだった。また、時間の合い間をぬって隣接する大邱の西門市場を訪れ、妹や弟の嫁らとともにショッピングを楽しんだ。 21歳の時まで暮らした故郷の地を必ずまた訪れたいと、故郷の街並みを胸の奥底に刻もうとする鄭顧問。「国が統一されれば、同胞たちの自由往来も可能となる。そのためにも、当事者であるわれわれ民族の力で、統一問題を解決しなければならない」、と強調する姿が印象的だった。 統一願う心を確認 金銀守(北海道商工会顧問)/サンチョンポ(慶南) 「アボジ、ポク マニ パドゥセヨ(お父さん、福を多くもらってください)」――。北海道商工会の金銀守顧問(88)を故郷の慶尚南道サンチョンポで出迎えたのは、妻の林玉鮮さん(80)と3人の息子と孫、ひ孫たちだった。 金顧問は、日本の植民地支配下で独立運動に参加し厳しい弾圧を受けた末に、解放を迎える直前、徴用で渡日を余儀なくされた。解放後は、統一のために総聯活動に奮闘してきた。そんな金顧問だけに、今回の故郷訪問は「国の統一を願う朝鮮民族の気持ちを家族と共に再確認し、1日も早く統一を実現させるための原動力になる」と強調。三男のキョンオクさんも「民族の繁栄を願うアボジを誇りに思う。アボジが故郷を訪れることができたのも、南北首脳が会い、同じ民族の力で統一を実現させることを確認したからだ。住んでいる地域は異なるが、心を1つにすれば統一は必ず実現する」と述べていた。 姉は生きていた! 李熙昌(総聯岐阜・東濃支部副委員長)/報恩(忠北) ソウル到着後も、総聯岐阜・東濃支部の李熙昌副委員長(79)は不安でいっぱいだった。 迷惑になるのでは と、第3者を介して取り合っていた姉スンインさんとの連絡を切ってから37年が過ぎ、姉の生死すら分からなかったからだ。 李副委員長は随行員とともに故郷の忠清北道報恩を訪れ、道庁所在地の清州の警察署で姉の生死を確認してみたが、記録は出てこない。姉は死んだと思い、故郷の山で姉の供養をする準備までしてきた。ところが、姉の夫の名前を警察のコンピューターに打ち込んだところ、夫は死亡していたが、家族欄に姉が息子とソウルで暮らしていると明記されていた。「姉はまだ生きているかもしれない」。 警察で得た住所を訪ねてみると、86歳になる姉は健在だった。66年ぶりに再会した姉弟の間に言葉はなかった。ただ手を取り合い、涙だけが流れた。「姉との再会は、家族が一つになる必要性を改めて感じさせた」(李副委員長)。 遅すぎた「親孝行」 金顕吉(総聯福岡・小倉支部顧問)/益山(全北) 57年ぶりに故郷の全羅北道益山を訪れた総聯福岡・小倉支部の金顕吉顧問(75)は、その足で弟と妹、その子どもらとともに祖父、両親、2人の弟の墓参りをした。 金顧問は、18歳の時だった1943年5月に官斡旋で、福岡県の住友炭鉱に強制連行された。45年の祖国解放後は、米軍が南朝鮮を占領したため、半世紀以上にわたって故郷の地を踏むことができなかった。親孝行をすることができなかったことをくやんだが、「今回故郷を訪れることで、ようやく親孝行ができた」と両親に報告した。 墓参りの後、金顧問はこう語った。 「10年も経てば山河も変わるというが、故郷の風景はもう5、6回は変わっただろう。同級生をはじめ故郷の知り合いはもう誰もいない。日帝に青春時代を奪われていなかったら、もっと早く親孝行をすることができたのに」 「また故郷に来てください」という弟妹の問いかけには、「日本にはまだ故郷を訪れることのできていない1世たちがいる。彼らの故郷訪問が実現すれば、私も来たい」と述べていた。 |